カテゴリー別記事: ぞうき林

ふわりの重み

 ぴっかぴかの秋晴れの昼下がり、ふうわりふわりとチョウが舞っていた。優雅にゆるい羽の動きで、ときおり滑空する。羽は白地に黒い筋が入って薄赤の斑紋。移入種・アカボシゴマダラである。行く先が気になって追いかけてみたけれど、塀を越えて向こう側へ。あっけなく見失ってしまった▼ふと、われに返って「追いついて捕まえたとして、一体どうするつもりだったのか」と自問する。殺すのは忍びないし、産卵を見かけてしまったら余計に困る▼「ヒトが意図的に持ち込み、放野したであろう」といわれ、着々と生息域を広げているアカボシゴマダラやホソオチョウ。在来の自然環境に影響を与えていたとしても、一つの命にかわりないものだから対応が難しい▼さて今夏、国内で初めて確認されて話題になったヒアリは「しかるべき機関に連絡して、駆除してもらわねばならない」。その場に居合わせたら自分もそうする▼ヒトの安全な暮らしとか、生態系の維持とか、さまざまな次元のたくさんの理由で駆除される生物がいる。理解しているけれど、生き物としての重みや価値は別問題で、どれも一つの命にかわりない。そのことだけは忘れずにいたいと思ったのだ。(

遺族の無念

 「仝」という字をご存じだろうか。「同」の異体字で「どう」と読む。古文書では「以下同文」を示すという。その位牌(いはい)を見せていただくまで、恥ずかしながら知らなかった▼位牌とは、70年前の桐生市に大きな洪水被害をもたらしたカスリーン台風の犠牲者のものだ。二つの位牌を埋め尽くす母子5人の名前。「昭和二十二年九月十五日」と刻まれた命日の横に、以下同文を意味する「仝」の文字が整然と並んでいた▼14日付の本紙1面に掲載された、同台風被害を振り返る記事「救えなかった命の記憶」。みなさんにお伝えできなかった写真がある。紙面の都合で別写真が優先され、残念ながら掲載に至らなかった。それが「仝」が並んだ位牌の写真だった▼2011年3月の東日本大震災から100日後、福島県南相馬市から避難してきた被災家族が、避難先の桐生市内で行った葬儀を思い出した。津波で亡くした家族4人の遺影。生後間もない男児と母親、祖父母の写真が、祭壇前でそっと寄り添うように並んでいた▼カスリーン台風と東日本大震災。突然襲ってきた激流に自宅ごと流され、大切な家族を奪われた悲しみが重なる。「仝」の字に込められた遺族の無念を思う。(

桐生シリーズ

 手拭いに続き、今度はハンカチである。何かというと、商品名に「桐生」の地名を冠した繊維製品だ。どちらも販売を通じ、地元桐生市を盛り上げたい強い思いがある▼手拭いは染め工場の平賢が手掛ける。現代風の鮮やかな色柄に加え、伝統柄をひとひねりしたり、さりげなく桐生らしさも投影したデザイン性の高さが特長だ。インターネット通販や直販に加え、取扱場所を増やしつつ展開中だ▼一方のハンカチは、染色整理業の老舗、朝倉染布。東京・渋谷や池袋などにビルを構え、高感度ファッションを発信するパルコと組み、クラウドファンディングを活用してウェブサイト上で予約の受け付けを始めた。先端加工を駆使し、拭いたそばから乾いてさらさらした触感が続く布には魔法がかかったようだ▼産地組合が申請する地域団体商標を除き、地名入りの商標取得は難しいが、こうした動きが続きヒットが生まれれば、桐生の“ブランド化”は着実に進んでいく。直近では商工会議所が進める「桐生マフラー」の企画も控える▼折しも、市を挙げて応援する陸上の桐生祥秀選手が100メートル走で日本人初の9秒台を達成したばかり。追い風が吹いている気がしてならない。(

大事なこと

 台風一過の朝。うすひんやりとした廊下を抜けて、トイレから出てくると、ネコたちが朝のあいさつ(朝ごはんのおねだり)で待ち構えていた。いつもと変わらぬ風景▼不幸中の幸い、この近辺ではさしたる被害もなく通り過ぎた台風。そのまっただ中でもネコたちはいつもどおり、おのおののお気に入りの場所でごろんと寝ていた。確かに家の中にいれば、時折激しくなる雨音や大木をざわめかせる風、テレビのニュースのほかは、台風を認識することもなかった。もっとも、情報があったところで、避難するぐらいしかやれることはないのだが▼近隣国からの2度目のミサイルが通り過ぎた。テレビのニュースとJアラートのほかは、認識するすべもなかったが、情報があったところで、避難するぐらいしかやれることはない▼台風は天災、ミサイルは人災。似て非なるものである。天災を物理的に避けることは難しいが、人災は本来、可能である。けれど現実的には、交渉ごとは国家レベルの偉い人たちに託すだけで、庶民には手が出せない▼行き着くところ、庶民ができるのは、情報を得ることと避難すること。それしかできないからこそ、とても大事なことなのである。(

慣れたくない

 朝ごはんの支度をしていると、消音にしているはずのスマートフォンから耳慣れない音が聞こえる。一瞬考え、気付く。全国瞬時警報システム「Jアラート」か。急いでテレビをつけると、あの嫌な黒い画面が現われた▼8月29日に北朝鮮が弾道ミサイルを発射した時はまだ布団の中で、本当に驚かされた。昨日は1度経験したこともあり、「文面から『頑丈な』が取れてる」「最後に通過した地域名とミサイルが向かった方向が入った」など、前日に変更されたばかりのポイントを冷静に確認していた▼駆け出しの記者のころ、笠懸野文化ホールである映画の上映会を取材した。インドとパキスタンの核保有の問題を取り上げたドキュメンタリー。もう10年以上前なので、タイトルは忘れてしまったが、核爆弾を落とされた唯一の国の住人としては「なぜ」「どうして」と心の中で叫びながら、取材を忘れて見入っていた▼「なぜ、使ったらおしまいの、使えない武器を大金をはたいて持とうとするのか」。それは世界の常識ではなく、アメリカの核の傘に守られた日本人だからこそ持つ疑問なのだろうか▼理解はできないし、したくない。それでも「知る」ことをやめてはいけないだろう。(