カテゴリー別記事: ぞうき林

にじいろ

 みどり市がぐんま男女共同参画センターと連携し、初めて開いたLGBTについての講演会を取材した。市内外から約90人が参加し、関心の高さをうかがわせた▼ニュースで最近よく耳にする「LGBT」。同性愛者や性同一性障害者など性的少数者を指す言葉だとは知ってはいるが、きちんと説明できるかというと知識不足は否めない。なので、当事者の体験を交えた講演は勉強になった▼LGBTの人は、約7万人を対象に2015年に行われた調査によると、日本国内に約7・6%、約13人に1人いるといわれる。1クラス40人なら約3人。記者の子ども時代も苦しい思いを抱えた人が隣にいたのかもしれない▼個人のプライバシーに関わる問題は「傷つけてしまうのでは」とつい敬遠しがち。ただ、好きな人が好きになってくれるとは限らないし、両思いでも自分と同じように思ってくれるとは限らない。そう考えれば異性愛者も、同性愛者も、両性愛者にも違いはないのではないか▼どんなことでも知らない、分からないことはマイナスのイメージに引っ張られやすい。問題はどこにあるのか、どんな声があるのか、どういう対応ができるのか、まずは知ることから始めてみよう。(

踊りの意味

 昔、夏の祭りの季節に佐渡を訪れた。船で島に渡り、両津から路線バスで山を越え、波の穏やかな浦の集落に着く。海にほど近い友人の実家に世話になり、食事をいただき、海で泳いだ。短い滞在だったが、海と空の青が鮮やかな記憶である▼夜、遠くから歌声が聞こえた。その音に導かれて足を運ぶと、集会所前の広場で人びとが踊っていた。佐渡おけさである。せっかくだからと交ぜてもらい、見よう見まねで手足を動かした。動きはけっして速くないので簡単そうなのだが、踊ってみるとスムーズにいかず、ぎこちない。それでも1時間ほど練習すると、少しは様になった▼背後に山の森が迫る、ほの暗い会場。でも、明るすぎない空間で、人びとが輪になって踊る場には、落ち着いた気配が漂っていた。何のために、誰のために踊るのかと、そんなことを自問させる時間だった▼先日、桐生八木節まつりのエネルギッシュな踊りを見ながら、楽しさを感じる半面、一抹の寂しさも覚えた。イベントとなったまつりに参加するには、こちらにもエネルギーが求められる。そこに疲れを覚えるのは、こちらの加齢のせいなのか▼薄暗い中で静かに踊った佐渡の夜が、懐かしくよみがえった。(

下から見るか

 足利の花火大会にお呼ばれした。桐生八木節まつりの中日のことで申し訳ない気がしたけれど、せっかくなのでお邪魔してみる。案内されたのは人であふれる河川敷、打ち上げ花火を真上に見る場所だった▼ほどほどに月と星が見える黒い空。視界いっぱいに花火が開く。同時にどおんという轟音が心臓に響く。散る。静かに残り火が燃え尽きて、花火の形をした煙が風にゆがむ。たなびく▼尺玉にスターマイン、仕掛けにフィナーレのナイアガラ。次々と繰り広げられるショーから目を引き離して振り向けば、この行事を楽しみはしゃぐ表情が色とりどりの光に照らされていた▼そして観客が空を見ているうちに、地上ではものすごいスピードで次の準備が進められる。黒い衣装に身を包んだ職人たちが、文字を浮かび上がらせる仕掛け花火を仕込んでゆく。彼らは空を見上げることなく、ライト一つで淡々と動き回り準備を進めてゆく▼これまでは遠くから眺めただけでわかった気になって、「まあ、混雑の中に飛び込んでいくほどでもないかな」なんて言ってたけれど、現場は別物。思わずこぼれた拍手と歓声はあの場ならでは。打ち上げ花火、下から見ないとわからないことがあるのだ。(

生き証人

 「いっぺんに十数万人。たった一発の爆弾で桐生の人口より多くの人が死んだ。そう考えると戦争は恐ろしい、でも、当時は生きるだけで精いっぱいで…」▼戦時中に広島市内で被爆した桐生市民の体験談が、広島市の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に、被爆者証言として保存されているのをご存じだろうか▼被爆の実相を後世に伝える被爆者証言ビデオを収録しようと、同祈念館が2003年度から広島・長崎両県以外に住む被爆者を訪ね、これまでに全国から300人以上の映像を集めている▼冒頭の証言は、06年秋に群馬県内で収録された桐生市内在住の被爆者インタビューの一こま。被爆直後から20日間以上も生死をさまよい、かろうじて生き残った80代(当時)男性の言葉だ▼あれから11年の月日が流れ、その男性も鬼籍に入られた。今年の「終戦の日」向け企画記事の取材で、桐生地区(桐生・みどり両市)の被爆者数を知り驚く。当時十数人はいたはずの被爆者たちが、わずか5人に減っていたからだ▼多くの人たちにご協力いただき、5人の“生き証人”のうちの1人から話を聞くことができた。地元に暮らす被爆者の貴重な証言を、14日の紙面に刻み込みたいと思う。(

文化の継承

 1990年代に生産された軽オープン車「ビート」の部品をホンダが復刻販売するという。黄色い車体で軽快に走る小さな姿が鮮烈な印象を残したが、生産が終了して20年。いまも乗り続ける愛好家にとって、純正部品の再供給は至上の喜びだろう▼古い国産車を維持したいオーナーにとって、部品の手当ては懸案だ。欧州車は安定して部品の供給がある車種が多いのに比べ、日本車は生産終了からほどなくして、部品も絶えてしまうのが一般的だった▼なので、自走できる状態を保つには、中古の部品を探すなり部品取り用の車を別に用意して交換したり、場合によってはつてを頼って町工場に依頼して特注したりと、持ち主は苦労が絶えない▼12回目を迎える「クラシックカーフェスティバルin桐生」に立ち上げから関わっているが、陰にそうした手間暇があって毎年美しい車をみることができるわけで、趣味とはいえ頭の下がる思いだ▼古い車を大事に乗り続けるのだって立派なエコだし、自動車文化を後世に伝え残す上でも意味がある。ガソリン車の時代はもう終わりに近いかもしれないが、ほかのメーカーや車種にも広がっていくといいな。(