カテゴリー別記事: ぞうき林

全体と

 最近、気に入っている食べ物がある▼数の子。たぶん、塩抜きをした後に味付けされたもの。はねものの安い、ほぐされたやつ▼小皿に塩を盛り、小さな数の子のかけらを箸でつまんで、ちょびっと塩をつけて食べる。最初に塩ががつんときて、あとから数の子のうまみがくる▼そのことを友人に話したら、なんでわざわざ塩抜きしたものに塩をつけて食べてるんだと笑われた。言われてみればその通りなのだが、自分ではこれを、塩を食べてると認識している。塩は、吟味した海塩で、実は数の子より値が張る。どうやったら塩をよりおいしく食べられるか、試行錯誤して行き着いた食べ方なのだ▼砂糖を入れたコーヒーを飲むのと、砂糖をなめてからブラックコーヒーを飲むのと同じ感じ。後者の方がより強烈に、砂糖の味や甘さを感じられる。和三盆とかのいい砂糖だと、これもまた、よい▼全体の中の1杯と、全体と1杯。量は同じでも、味は異なる。全体の中に入ったときの調和もよいが、別々だとそれぞれが際立ってまた、よい。一方だけではもったいない。両方を味わう発想と、味わえる工夫をしてみる。うまくいくと、達成感まで味わえる▼まあ、うまくいかないことの方が多いのだが。(

放火の罪は重い

 桐生市消防本部が発表した「2017年消防白書」によると、管内の火災発生件数は前年より8件少ない57件で、広域消防体制になった1976(昭和51)年以降で最少だった15年の63件を更新したという。今年も最少更新を願うところだが、16日時点で既に9件発生しており、楽観視できない状況となっている▼出火原因は例年「たばこ」「たき火」「こんろ」「放火」などが上位を占め、昨年は「疑い」を含め放火は9件と4年ぶりにトップになった。この中には梅田町(梅田南小学校近く)の護国神社が全焼した火災も含まれている▼この神社に放火した容疑で逮捕・起訴された20代前半の男3人に対する裁判が前橋地裁で進められ、23日には主導したとされる男を除く2人に判決が言い渡されることになっている。ちなみに放火は殺人、強盗、強姦と同じ凶悪犯罪。罪は重く、非現住建造物等放火罪の法定刑は2年以上の有期懲役だ▼前回の公判で求刑のあった2人は後悔と反省の弁を述べ、弁護人は酌むべき事情もあるとして寛大な判決を求めた。この2人のうち1人はほかに窃盗罪と建造物侵入罪に問われている。判決は、代償は大きいことを知るに違いない。(

先人の知恵

 黒曜石という石がある。ガラス質の火山岩で主に黒色。破片が鋭いため、石器の材料となった。岩宿遺跡で黒曜石製のやり先形尖頭器を発見した相沢忠洋さんが後に「その美しさが神秘的に思えた」と書いたように〝石器〟という言葉から受ける武骨なイメージはない▼岩宿博物館の石器作り体験教室で、小菅将夫館長は「黒曜石と鹿の角はどちらが硬いですか」と問うた。答えは黒曜石。「硬い金づちで叩けば粉々になってしまう。昔の人はそれを知っていたのです」。その解説にはっとする▼何度も取材し、分かっていたことだったが、硬度を測る機械もない時代、試行錯誤する中で獲得した岩宿人のすごさに改めて気づく。石器を道具として使わなくなった現代人は知識として分かっていても、本当に分かっているといえるのだろうか。どんなに科学が発達しても、この感覚の鈍化にはもっと危機感を抱かないと、後で大きなしっぺ返しをくらう気がするのだが▼岩宿博物館では赤城山を襲った弘仁9(818)年の大地震をはじめ、大間々の大火や渡良瀬川流域の台風被害を取り上げた企画展を開催中だ。過去の災害で得た経験は、きっと未来の災害の減災に生きると思う。(

遠くはない

 南海トラフと根室沖の巨大地震の発生確率が80%に引き上げられたと、政府の地震調査委員会が公表した。南海トラフでは最悪の場合、津波などで約32万人が死亡。避難者の数は地震発生から1週間で最大950万人に上るという▼南海トラフは海のない群馬からは遠いイメージがある。静岡から四国にかけての太平洋側にある、深い溝状の地震発生帯のこと。同地震での群馬県桐生市の揺れは震度5弱と想定。東日本大震災のとき、桐生市は同6弱だった▼喉元過ぎれば何とやらで、7年前の震災当日のことを、私はすっかり忘れて日々を送っている。日記によると、本社の3階にいた。大揺れで棚から冊子が床にばらまかれ、天井からはがれたタイルが落下。外へ逃げた。揺れは収まらず水銀灯がしなり、道向こうの屋根瓦が落ちた。家族の安否を確認したかったが、携帯も固定も電話は通じなかった▼翌日からガソリンや灯油が買えず長蛇の列。物流停滞や被災地への供給で食料品や水が品薄に。毎日余震や原発の情報が流れ、風邪も流行した▼巨大地震の発生確率は日に日に上がっていく。東京や海沿いの遠隔地で暮らす子や孫を持つ人は多いだろう。南海や根室は遠いが、遠くはない。(

冬の緑

 畑の脇に延びる狭い土の小路を通り抜けて出勤する。その日の風の強さや湿気、光の加減によって、足元の土の表情は毎日変わる。その変化を眺めるのが楽しみでもある▼真冬、冷え込んだ朝には、地面を押し上げるように霜柱が成長する。踏まずにはおられず足を忍ばせると、ざっくとした感触が足裏から伝わってくる。子どものころから慣れ親しんだ寒い冬の感触▼どんなに寒くなっても、小路の周辺には必ず緑がある。この季節、濃い緑色の細長い葉はヒガンバナ。秋の彼岸のころ、あでやかな赤い花を咲かせていたがそのときは葉などなくて、土から伸びた黄緑色の茎の上に花ばかりが咲いていた▼葉の存在に気づくのは、決まって丈の高い草たちが枯れた後、冬のいま時分だ。つややかな葉が輝いて見える。光を受けてせっせと光合成し、養分をつくって球根を増やし秋の開花に向けた準備をする。もの言わぬ、黙々とした営み▼寒い中でも、地面にへばりつくように葉を広げている植物は意外と多い。赤や黄に染まった花や実がないときは存在に気づく機会さえ少ない野草だが、春に向けた足どりは着実。自ら移動する機能や言葉を持ち合わさぬ命のしたたかさとたくましさを思う。(