カテゴリー別記事: ぞうき林

めぐりめぐる

 イズミが死んだ。小さいころから「岡公園のイズミちゃん」は当たり前の存在で、死ぬ前日に元気な姿を見ていたから不思議な感覚だった。やがて桐生が岡動物園にゾウがいないのが当たり前になって、いつかイズミを見たことがない人ばかりになる。やっぱり不思議▼だけど感情を抜きにすれば、何事もそういうものである。この目は戦争を知らなくて、高度経済成長や東京五輪の熱狂、人があふれて活気づいた“古き良き桐生のまち”を経験していない。その代わりに戦後の平和な時代を、一瞬で遠くとつながる技術のある世の中を生きている。多くの人たちが身近な自然環境に心を向ける今を知っている▼どの時代に生まれて、どんな経験をしたら、より幸せなのかしら。今しか知らない身ではわからなくて、それは誰もが同じこと。生まれる時代も場所も選ぶことができないまま、偶然の出会いと取り巻く出来事、変化を受け止めて生きる。ときに抗って、受け損なっても進む。ただそれだけ▼そんなふうにつらつら考えて、改めてイズミと同じ時代に生きて、死を経験した偶然に感謝する。彼女にまつわる歴史や物語、人々が抱える思いをひっそり胸に刻んでおこうと思ったのだ。(

分割自治体

 一緒になるどころか、“分割仲間”が逆に増えるそうだ。国の審議会が19日に示した衆院小選挙区の区割り改定案。同一自治体に異なる選挙区を抱える桐生・みどり両市のように、分割される市区町数は88から過去最多の105に増えるという▼2014年12月の衆院選を「違憲状態」とした最高裁判決を受け、「1票の格差」(小選挙区の人口格差)是正を最優先した応急措置。自治体を分割しないことを原則に見直し作業を進めるはずが、最終的には分割自治体を大幅に増やす皮肉な結果になってしまった▼その一方で、今回の見直し対象に群馬県は含まれていない。群馬2区(旧桐生市、みどり市笠懸・大間々両町)と同1区(桐生市新里・黒保根両町とみどり市東町)に、それぞれ選挙区が分割されている桐生・みどり両市。地域の一体性が損なわれるとの懸念から、区割り見直しを望む声は根強いが、改定に向けた具体的な動きは一向に見えてこない▼代わりに国会から聞こえてくるのは、相次ぐ閣僚の失言や政務官の女性問題…。「平成の大合併から10年以上たつにもかかわらず、国はいまだに選挙区一つ一緒にする気がない」。そう嘆く両市民の声は届いているのだろうか。(

小さな発見

 日ごろ、地域で動いていて、一通りのことは承知していたつもりだったが、知らないことの方がまだまだ圧倒的に多いと改めて実感した▼仕事で19日、黒保根町に赴いた。国道122号から、下田沢の交差点を左に折れ、県道沼田大間々線を走る。なだらかな上り坂にみえるが、非力な旧式の軽自動車では、ギアを3速に落とさないと速度が上がらない。意外と勾配があるのかと考えながら進むと、春の鮮やかな色彩が目に飛び込んできた▼市道に入って再び国道に抜けるまでの間、何本もの満開の花木が道沿いに次々現れる。ことに見事なのが、枝垂れ桜と桃の共演で、競い合うように咲き誇る桃の赤に近いピンクは強く印象に残る。春の花の代表格の梅桃桜は普通、その順番通り咲くが「年によっては全部が同時に咲くこともあるよ」と、地元の人が教えてくれた。集落の人たちが植えたツツジが、次に見ごろを迎えるという▼帰りに国道沿いの道の駅「やまびこ」で昼食を取った。関東地方の道の駅マップがあったので手に取ると、すぐ近くにこんなところがあったのかと初めて知る情報がちらほら。あちこちの道の駅を目印に、近郊を訪ねても楽しそうだ。(

見た目

 「ブラッドオレンジ」といえば、ジェラートやジュースでよく目にする柑橘類。果実が血(ブラッド)のように赤いオレンジで、イタリアの辺りが産地だったと思う。スーパーで「愛媛県宇和島産」という文字を見かけ、ああ日本でも栽培できるんだと、つい手にとった▼食べてみると、香りがよく、甘く、酸っぱさもほどほどで、独特の風味もある。つまり、おいしい。しかしきっと、食べる人を選ぶなあ、と思った▼見た目で判断する人には厳しそうだ。切ってみて、驚いた。オレンジ色の果肉に、赤い部分がまだらに散っている。生焼けの魚に残った血のようで、ちょっと不気味な感じ。傷んでいるのではないかなと疑うくらい。まあ安かったし、小さかったし、完熟する前に収穫したのかもしれない▼「日向夏」という柑橘は、果肉は苦みも酸っぱさもなく、甘い。けれども皮の色がグレープフルーツのような明るい黄色のため、何となく酸っぱそうで、手が出ないという人も多いようだ▼「食わず嫌い」という言葉は昔からあるが、アレルギーなど命にかかわることでなければ、とりあえず試しに、食べてみるといい。口に合わなければ、その後、食べなければいい。本質は見た目でなく、栄養であり味なのだ。(

いのちの春

 まだ醒めやらぬ寝床に届く、ウグイスの声。うまくなったねえと思うのはもう、うつつに戻されているということ。新しい春の、花ばなと芽吹きの、またよみがえったいのちの、放出、共鳴、交響。寒夜も生きて生き延びて、朝はまた来た。目覚めるのだ▼美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない―。そんな託宣が降りてきて、見つめたのは菜の花だ。前夜、一把みな茹でてしまわずに、救出して花器にさしておいた一本だ。セロハンに固く包まれてスーパーの棚に置かれていたものだから、茎は曲がってしまっていた。一晩たってもまだ曲がったままだった▼その日は、いけばな草月流群馬支部の研究会を取材したのだった。黒いゴムを巻き付けられたカラーや、コルクシートにはさまれたドラセナ、葉をむかれた雲龍柳などがクールな造形と化して、素人目にも、とても新鮮だった。いったん死んだ花が、別の命としてよみがえったと見えた▼菜の花の小さな黄色がかわいくて、葉に抱え込まれた蕾も可憐。茹でられたものたちはもう、わたしのからだの一部になってしまっただろう。取り返しのつかないことを日々折々にして、それと気づかずに、生きながらえている。(