カテゴリー別記事: ぞうき林

不審者と疑う前に

 「防犯メールで不審者情報が出るたびに、うちの子ではないだろうかと、ヒヤッとしちゃうのよね」―。桐生市内で3人の子を育てている母親(49)は、複雑な笑顔を浮かべながらそうつぶやいた▼子育て中の親なら誰しも抱く不安だが、少し違う。自分の子が被害に遭ったのではないかと心配するのではなく、加害者になってしまうことを恐れているのだ▼その母親には自閉症の20代の息子がいる。ある日、スーパーで泣いている女児がいたので息子君が近寄って立っていたら、不審者扱いされそうになったという▼そんな息子君がふらっと散歩に出て、路上で女児に接触しようものなら、不審者として通報される事態になりかねない。不審者メールを受信してその母親がまず気にするのは「男の特徴」だという。その日の息子君の服装を想像し、違えば一安心▼児童の見守り活動をしていた元保護者会長が女児殺害の容疑で逮捕される事件が起きたこともあり、子どもの周囲への警戒感はより強まっている。だが、路上でニコニコしている人がいるだけで不審者扱いするような風潮は地域としても息苦しいし、冤罪の恐れもある▼被害者意識だけでなく、広い視野と多様性への理解も忘れたくない。(

柔らか軟らか

 以前、脳科学の講演会で「鳥類は写真を撮ったように正確に記憶する」という話を聞いた。あまりに正確であるため、木の成長や季節変化などで状況が変わると、目の前の景色と記憶を同一のものだと認識できないという▼その点、ヒトの記憶はあいまいで、多くの人は見たままを正確に覚えられない。だからこそ、変化する状況に適応できるらしい。かっちり固まった正確性と、あいまいな柔軟性の対比がとても印象的な話だった▼また別のとき。ある植物研究者から「多くの植物は『例外』という柔軟性に富むからこそ強さがある」と聞いた。植物種ごとの標準的な特徴は、過去の研究を基に図鑑にまとめられていて、それらは貴重な記録の積み重ねだ。しかし、図鑑に当てはまらない例外が生まれる、という柔軟性こそが植物、そして生物の強さだという。加えて「例外を持たず固まりすぎると、もろい部分ができる」とも▼自然界の柔軟性は許容範囲が広く、個体差による大きさや色の違いはもちろん、種の特徴をかけ離れる場合すらある。標準と例外の持つ幅広さと、そこから生まれる多様性こそが、生き抜くために大切な部分。それぞれの柔軟性こそが生物共通の魅力なのだろう。(

福田先生

 茶色い長髪に、細身のスーツ。年齢は非公表。教師というよりもミュージシャンのほうがしっくりくる。質問の答えをじっくり考える姿はまるで哲学者のよう。先月に初めてお会いしたとき、「こんな風変わりな先生が世の中にいるなんて」とワクワクしたのを思い出す▼樹徳中高一貫校教諭として現代文とフランス語、医療倫理を教えている福田肇さん。何度も来桐している友人の茂木健一郎さんらとともに24、25の両日、有鄰館で「夏至祭」を企画。アートや環境のトークセッション、映画、音楽、絵画、写真など多彩な催しを繰り広げる▼桐生市出身。多くの絵や詩を残して17歳で早世した山田かまちとはロック仲間だった。同志社大卒業後に同大学院で哲学を学んで渡仏。現地の国立大学院で専任講師を約10年務めた。父親の死を契機に母のいる桐生へ帰郷し、2006年から樹徳中高一貫校に勤務している▼まるで哲学者のよう、ではなく、正真正銘の哲学者だった。「夏至祭」とは、フランス流の夏祭りのこと。福田さんは「哲学が生活の一部になっている同国のように、ちょっと知的でアートな催しを、お祭り気分で楽しんでほしい」と夏至祭本番を心待ちにしている。(

どこでもドア

 車の運転がおっくうで仕方がない。用が足りないので仕方なく乗るけれど、事故を起こさないために、周囲に気を配る緊張感が欠かせないし、交差点の右折待ちでは、対向車が全く来ないのに、矢印が点灯するまでひたすら待たねばならない場所があるのも面倒だ。要はものぐさなのである▼ドライブがストレス発散になる人も中にはいるだろうが、それとは真逆。運転する距離や時間は少ないほどいい。なので、自動運転の実用化を心から願い、待ちわびている。カーメーカーが関連技術の開発にしのぎを削る中、群馬大学も名乗りを上げ、完全自動運転に向けた実証実験を進めている▼桐生市内の公道で車を走らせるとともに、桐生キャンパスに「次世代モビリティ社会実装研究センター」を設置。前橋市の荒牧キャンパスには、研究棟や走行試験場が整備される予定だ。目標に掲げる2020年の段階で、どうなっているだろうとわくわくしながら見守っている▼同大の板橋英之教授は講演の場で、完全自動運転が現実になった社会をドラえもんの「どこでもドア」に例えた。乗り込んだ後の車内でわが家のように気ままに過ごし、止まったら目的地に着いている。最高である。(

授かった時間

 いろんなことを考える時間ができた。というか、授かった時間なのかもしれない▼34年前に父が亡くなった。その遺影は母が選んだ。享年より十数年前の、当時は定年間際の年ごろだったが、一人前には及ばない子どものために、資格を生かす道へ進もうと、すでに心に決めていたころの顔である▼母は写真を部屋に飾って、卒寿まで、朝は掃き掃除の後に仏壇を拝み、チーンという音で電子レンジから温めた牛乳を出し、卵焼きを作り、朝食を済ませてからは決まった場所で静かにテレビを見て、家族を見送って迎え、夜は8時に「おやすみなさい」と布団に入る。そんなふうに少なくともこの20年、同じ日課を積み重ねてきた。その母の遺影を、今度は筆者が選ぶ番になった▼90歳を前にした写真は、いつもの場所でいつものように笑ってくれた1枚である。父母の遺影を比べれば年の差は隠しようもないが、長い時間を共にして数々の場面がある中で、ふしぎと迷わなかったのである▼斎場を出て、務めを終えて家に戻ると、病院生活の2年半を懸命に耐え、やっと戻れた自宅の部屋で、祭壇の花に埋もれて笑ういつもの母の顔があった▼「ただいま」と、自然に声がかけられた。(