カテゴリー別記事: ぞうき林

図書室の漫画

 少なくとも記者が子どもだった30、40年前、学校の図書室には、漫画のたぐいは一つも置いてなかったと記憶している。あればきっと、入り浸っていただろう。小さいころから漫画好きで、いいトシこいて「ワンピース」が休載だとがっかりするくらいなので▼「はだしのゲン」は、小学生のころ、いとこの家で読んだ。ジャンプやらチャンピオンやらに慣れた目には、タッチが独特すぎてとっつきが悪かった。読んでみて、特にこわいとか恐ろしいとかかわいそうだとか、そういう感情も生まれなかった。それでも何だか引っかかって、何度か読み返した記憶がある▼その後、歴史を学んだり、いろいろなニュースを見たり聞いたりするようになり、あれが実際にあったことだというのを知り、それを自分のことと受け止められるようになって初めて、あの漫画の意義を理解できた、と思う。小さいころに読んでおいてよかった、と思う▼閉架措置が撤回されたと聞く。もともと図書室になかった漫画が置かれるようになったのには、それなりの理由があるはずなのだ。時とともに風化するのは世の常ではあるが、時がたってもないがしろにしちゃいけないものがある。(篤)

85歳の抽象画家

 それは2001年、黒保根の山中で栗生神社を目指すうち迷い、紛れ込んだ沢筋。同行の画家が声を上げた。「わあ、何だこれは!」。車を降りて見ると巨大な抽象画がコンクリートブロックの壁面に描かれている。現れた人物がまた、ただならぬ気配。佐々木耕成さんだった▼本紙「桐生広域いろは路」連載中のこと。ニューヨーク帰りで、ここに住み着き自力でアトリエを建設したという。狐につままれたような気持ちで、一人でなくてよかったと顔を見合わせたものだ▼その耕成さんが3年前、東京の真ん中に生まれたばかりのアーツセンターで新作大個展。40年ぶりの再デビューを果たした。個展が終わったら結婚すると「全肯定」の81歳ははにかんだ。翌年には館林美術館に招待出品、そして今85歳、桐生市内で新作展▼一時はアートを見限った前衛が、胃がん手術後のほとばしる創作意欲でベニヤに白布を貼り、ペンキで描き続ける。大きく、明快で、感覚が内に宙に広がる▼この正月に勢津子夫人が急逝したことを知った。山道を自転車で行き来していると笑う耕成さん。ちっちゃなポニーテールでマルボロを吹かす、生活感のない老アーティスト。魂の旅はどう続くのだろう。(流)

同居する季節

 先週末のこと。明け方の散歩で思わずつぶやいた。「あれ、涼しいな」。その時は前日夜まで降った雨のせいだろうと思っていた。が、その晩、何も掛けずに寝ていたら寒くて夜中に目が覚めた▼23日は二十四節気の一つ、暑さが落ち着くころの意味の「処暑」だった。とはいえ、それまで寝苦しい日が続き、今後も厳しい残暑予報だったので、こんなに早く秋を感じるのは意外だった▼気象データを確認すると、桐生市の24日の最低気温は21度台、25日は20度台と平年の9月上旬並み。それまで24度前後あったのが、3、4度下がるだけでこうも違うものかと驚いた。さらに26日は17度台まで下がり、同中・下旬並みに。けさは19度台と同上・中旬並みだった。ちなみに、観測史上で最も厳しい残暑に見舞われた昨年の場合、最低気温が18度を下回ったのは9月23日以降。今年は昨年より1カ月近くも早いわけで、こんなに早く秋冷を感じるのもうなずける▼きのう、さっそく秋探しで郊外へ。定番のコスモスは、知っている撮影スポットではまだ早かったが、民家の庭先に咲いているのを見かけた。残暑の中にも日々変化する体感気温と目に映る景色。晩夏と初秋が同居する季節を迎えた。(ま)

夏の終わり

 桐生市の小・中学校できょう2学期が始まった。みどり市はあすが始業式。最近は高校も9月を待たずに始業する学校が多いようだが、こう猛暑が続くと、ちょっと考えものだと思ってしまう▼夏休みの宿題はいま、何回かある登校日に分けて提出していると聞く。夏休み最後の日、波平さんやマスオさんがねじり鉢巻きしてカツオの宿題を手伝う、サザエさんでの光景はもう見られないみたいだ▼絵が苦手な記者はどうしても最後に絵の宿題を残していた。そして始業式前日、時には午前0時すぎまで「花と緑のポスター」を描いていた。毎年毎年、飽きもせず、このポスターの絵ばかりを。おそらく苦手なことに手間をかけるのが面倒だったのだろう▼そんな中、一度だけ牛乳について絵日記を描くコンクールに応募したことがある。これがなんと入賞。今も絵にコンプレックスを抱える中でその喜びは胸の奥を温める記憶の一つとなっている▼読書感想文が苦手という子もいるだろう。自由研究や工作で頭を悩ます子もいるかもしれない。こんなことやって意味があるのかと。でもクラスメートと机を並べてではなく一人で課題に向かう時間は必要だと、大人になった今は思える。(野)

気配の季節

 蒸し暑い夜、掃き出しの網戸の向こうから、ジージーと鳴く声がする。庭の草むらから聞こえるような、地の下から響いてくるような。あれはミミズが鳴いているのだと教えてくれたのは、だいぶ前に他界した祖母だったか▼「蚯蚓」と書いてミミズと読む。手元の漢和辞典をひくと、「蚯」の丘は、曲がっている様子を示すらしく、「蚯」は、からだがねじれた虫のこと。「蚓」の引は、ずるずるひっぱるの意味で、「蚓」は、引っ張られたように長い虫なのだそうな▼「蚯」のすぐそばに、「蛉」の字を見つけた。「蜻蛉」と書けばトンボ。「蛉」の令は、細くてきよらかの意。「蜻」のつくりも、きよらかですずしいといった意味。この季節、夏木立や水辺で見かけることの多いヤンマやサナエトンボの姿が思い浮かぶ▼先日、桐生川の川面を眺めていると、巣立ちを終えたツバメたちがえさを求めて飛び交う中、あちらこちらで幾種ものトンボを見かけた。蒸し暑さと相まって、なにやら生きものの気配濃い8月の水辺。見えない何かまで感じ取れてしまいそうな雰囲気▼そういえば祖母は、大型のトンボを総称し「おおやまとんぼ」と呼んでいた。故人の思い出がふとよみがえる、そんな季節でもある。(け)