カテゴリー別記事: ぞうき林

コントロール

 「え、なんで?」。台風18号の影響で激しい雨と風に見舞われた16日昼すぎ、いつものように大気中の放射線量の確認のため、文部科学省のホームページ「放射線モニタリング情報」で群馬の線量を調べたときのことだ▼いつもなら0・023マイクロシーベルト前後の前橋が、0・038。0・043前後の桐生は0・065。みどりは0・088だ。他の地点も軒並み0・02程度上がっている。雨の日は多少高くなるのだが、それでも0・005とかそのぐらいの幅。少し考えてみて、「福島か」▼桐生の辺りだと、実は北東の風というのはあまり、ない。このときは南東から大型の台風がやってきていた。空気は台風に向かって流れるから、北東の風となる。その結果ではないかと考えると、自分なりにふに落ちた▼この数値そのものに、安全とか危険とか言えるような知識はないが、それでも数値の急な上昇に不安にはなる。気になって調べてみた福島市の数値は、増減はわからないが、高いところで0・6を超える場所もある。「コントロールできている」とか世界に宣言した人がいたようだが、こんな状況すらもコントロールされているという▼放射性物質の放散は、いまも続いているのだ。(篤)

福島で江戸絵画

 小林秀雄賞を受賞した山口晃さんの画論『ヘンな日本美術史』(祥伝社)では「お好み焼き」扱いされている円山応挙と伊藤若冲。「懐石もお好み焼きもどちらも食べたい」というとき、懐石が正統派の典雅な絵(ただしどうしてもうす味)なら、応挙や若冲はお好み焼きポジションだと▼1年ぶりの福島県立美術館で「若冲が来てくれました」を見た。プライス夫妻が東北被災地支援のためにコレクションを提供し、仙台、盛岡を巡回してきた展覧会も福島が最後。混み合う美術館入り口で何と、プライス夫妻と遭遇し写真に納まったり握手したりという幸運にも恵まれた▼「鳥獣花木図屏風」を「花も木も動物もみんな生きている」というように読み下しタイトルをつけた同展。最初の一点の鈴木基一「アメを売る人」を見ただけで、働く喜びにあふれていて泣けた。あまり見る機会のない江戸絵画、その美と生命力▼トラのコーナーでふに落ちたのは、若冲も応挙も本物のトラを見ていないこと。中国の絵や毛皮や猫を見て描いたトラが、写実的でないから魅力的なのだ。西洋美術的にはありえない独特の世界が近代化前には豊かにあった▼大勢の来場者と、それぞれのお好み焼きを堪能した。(流)

まさか

 夜が明け始めた街に台風が迫り来るなか、惨状を目の当たりにしてふんどしを締め直した▼最初は大間々町南部の繁華街。本・レンタル複合店の大型ガラス数枚が割れ、歩道に散乱していた。窓枠ごと落下したのもあり、突風のすさまじさを物語っていた。その対面の駐車場ではブロック塀が倒れ、窓にシートを張った車が数台。ガラスが割れ、応急措置を施した跡だ。隣接する板金塗装会社の駐車場も荒れ果てていた▼近くの衣料品店も大きな被害を受けていた。外に面した天井の大部分がはがれ落ち、断熱材や鉄板などが散乱。その近くの飲食店も出入り口付近が損壊。その先の自動車整備会社の大きな看板も倒れたり車にもたれかかっていた▼次に向かったのは笠懸町阿左美地区(国道50号北側)の住宅地。ここは住宅の屋根や窓ガラスに被害が集中した地域。ガラス片でけが人も出た。みな、風雨が強まる中、とにかく後片付けや損壊した屋根の応急措置に懸命だった▼取材先で「まさか」を何度も耳にした。天災とはいえ、やりきれぬ、やり場のない思いが伝わってきた。台風が去り、何事もなかったかのような夕焼け、そして秋晴れとなったが、今回は撮影する気にはなれなかった。(ま)

予想外?

 視聴率好調のまま最終盤を迎えるNHK連続テレビ小説「あまちゃん」。ヒロインの能年玲奈さんはもちろんだが、現時点での恋人を演じる福士蒼汰さんら“イケメン枠”を差し置いてマネジャー役の松田龍平さんの人気が急上昇している▼特別ファンで作品を追いかけているわけではない。が、デビュー作の大島渚監督「御法度」に始まり、最近では「まほろ駅前多田便利軒」「探偵はBARにいる」「舟を編む」と出演映画をよく見ている▼みないい作品であったが地味で、周囲には一緒に語り合える仲間はいなかった。それが簡易ブログ「ツイッター」で「あまちゃん」とは別に彼の役名の通称「ミズタク」の項目がつくられるほど注目を集めている▼イケメン度でいえば弟の松田翔太さんの方が高いし、父の松田優作さんほどのカリスマ性はない。役の魅力が大きいのだろうが脚本家の宮藤官九郎さんも驚きの人気という▼NHK大河ドラマ「八重の桜」で新島襄を演じるオダギリジョーさんも出演する映画「舟を編む」は心がじんわり温まる作品だった。彼のファンではないのだが、過去の出演作にも目が向けられるとうれしい。人気が高まると批判の声が増える心配もあるのだが。(野)

生物の本能

 最近、動物の登場する小説をよく読む。丹下健太氏の「猫の目犬の鼻」は、中学3年の主人公の女性が、高校、大学をへて社会人になるまでの10年間の生活ぶりを描く▼中学生のとき、彼女は近所で野良ネコに出合う。小説では主人公の、既視感を伴うかのような暮らしぶりとともに、このネコが出産して子どもを産み、その子が成長して子を産みと、代を重ねつつ、寿命で、あるいは事故で、ときに命を落としたりと、10年間のいのちの営みも淡々と綴られる▼この小説に限らず、登場人物たちがふと、彼らが意識しない場所でひっそりと暮らす動物や植物のことに思いを巡らすシーンに、最近はよく出くわす。こうした小説が増えているからというより、自分の意識の方が、そんな場面に引き寄せられているせいなのか▼難しい理屈に振り回されることなく、ネコは子どもを産み、育て、代を重ねる。接近しつつある台風18号の進路をパソコン画面で眺めながら、迫りくる悪天候やそれに伴う災害の予兆を、動物たちならばどう感じ、行動するのかと考える▼66年前の今ごろカスリーン台風が本州の南の太平洋を北上していた。本能を文化に置き換えた人間は、経験から学び、伝え、行動する。(け)