カテゴリー別記事: ぞうき林

淡い藍色

 群馬大学理工学部同窓記念会館の資料室で、「古代植物染の実際」と題した色見本帳をのぞいた。その中の「かめのぞき」と記されたサンプルがいまも忘れられない。藍染めの色みを濃淡の順に並べた中で、最も淡い色の名。透明な、朝のような色彩▼先日、ある人から「吾妻公園でアサギマダラを見かけた」と情報をいただいた。渡りをすることで知られるチョウで寒い冬を沖縄などの温暖な地ですごし、盛夏を前に群馬や長野など本州の涼しい高原へと移動、冬を前に南へ向かう。代替わりをしながらの適温を求めた大移動は、1000キロ超にもおよぶ▼情報提供者に同行し、公園内を歩くと、散策路わきのアザミの花をかすめるように羽ばたきを止めて滑空するチョウ。それがアサギマダラとの初対面で、羽を見たとき、思い浮かべたのが「かめのぞき」の色だった。アサギマダラのアサギは「浅葱」で、広辞苑によれば薄い藍色のこと。「かめのぞき」よりも幾分濃いか▼ぐんま昆虫の森によれば、赤城山などで夏をすごしたチョウが、南に向かう途中で立ち寄ったようで桐生地域でも目撃例はけっこうある。台風が近づく中、あの美しいチョウたちがどんな渡りをしているのか、気掛かりだ。(け)

鬼のご機嫌

 最近になって「選挙ネタ」がたびたび耳に入るようになってきた。といっても、国政選挙ではなく、来年4月のみどり市長選やそれと同時に行われる同市議補選の話でもない。その先、再来年4月の桐生市長選や県議選の話題なのである▼ずいぶん気が早いようにも感じるが、要するに、2期目の現職・亀山豊文桐生市長の対抗馬をどうするかという話。すでに具体名もちらほら挙がっており、きな臭さが漂い始めている▼亀山市政では、群馬大理工学部などと連携して「環境先進都市」をめざすプロジェクトや、桐生新町重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の選定など、先進的な試みや長年の懸案が一定の成果を上げている。だが、最大の公約であるみどり市との合併が一向に進展しないことや、人口減、産業衰退など構造的問題に対し、市民の不満も根強い▼そんな状況を背景に、某市議が県議になるとか県議が市長に挑むとか、宣伝になるのであえて名前は出さないが、市長選に引っ張られるように地元政界はうごめいている▼来年の話をすると鬼が笑うというが、再来年の話をすると鬼はどうなるのか。苦笑か、失笑か。それとも激怒か、呆れ顔か。(成)

選択肢がある

 「平和って、どんな状態のことをさすのか。皆さんはどう思いますか」。大間々図書館で12日に開かれた講演会で、日本紛争予防センター(JCCP)理事長の瀬谷ルミ子さんは会場の人たちにそう問いかけた▼瀬谷さんは1977年2月桐生市新里町生まれ。ワールドカップなどで世界の戦士(もちろんサッカー界の)と戦ってきた松田直樹さんと同学年の世代。平和な田舎のまちで生まれ育ち、高校3年のときに1枚の写真と出合うまでは「自分の進路に迷っていた」という。写真には〝地べたで死にゆく母とそのそばで泣く赤ん坊〟が写っていた。ルワンダの大虐殺を伝えるものだった▼大学生のとき紛争解決の道を学ぼうと欧州やアフリカに行った。英国の大学院でも学んだ。「紛争地で暮らす人のためにできることは」。その思いが道を切り開く力となり、試行錯誤しながら、何がその地域の人にとって最善かを考え、提案し、実現するための支援をしてきた▼「生きる選択肢がいくつもある状態」。平和とはそんな状態だと瀬谷さんは話した。兵士にならなくても、武器を手にしなくても生きてゆける社会。あらためて世界の現実を知るきっかけをもらった講演会だった。(な)

耳学問

 あなたは災害で避難をしたことがありますか―。ある被災者を取材した際、そう聞き返されたことがある▼ないと答える自分に、その人はこう言った。水害でも地震でもいいから、何かに被災したつもりで一度、自宅から避難所まで歩いてみてください、と▼先日、思い立って実践してみた。自宅から避難所まで約400メートル。歩いてみなけりゃ分からない。そんな発見の連続だった▼道路わきで浄化槽のふたが外れかけていた。水害時には文字通り“落とし穴”になる。狭い路地の角には、朽ちかけて傾いた木造の空き家。水害や地震で倒壊すれば路地をふさいでしまうだろう▼自宅と避難所を分断するように走る用水路。上をふさいで公園化されており、水害時の水の流れが予想できない。避難所と逆方向にある総合病院のほうが近くて安全だと気づく▼「自分の命は自分で守り、自力で守れない人の命は地域で守る」。そうした地域防災の取り組みを取材する機会が年々増えているが、自分自身、分かったつもりの“耳学問”になっていたと反省している▼伊豆大島で大きな被害を出した台風26号に続き、27号が接近中という。“耳学問”の同志諸君。まず避難所まで歩いてみませんか。(針)

あのディノ

 40代半ばをすぎた記者が小学生のころ、ブームといえるものはいくつもあったが、中でも際立っていたのが「たいやきくん」と「スーパーカー」である▼その一方の雄であるスーパーカーは、当時少年ジャンプで連載していた「サーキットの狼」がきっかけ。年齢を考えれば当たり前だが、誰一人、車の運転などしたこともないのに、当時の男ガキは「四輪ドリフト」「パワーウエイトレシオ」「最大トルク」といった、車を運転している今でも使い道のない専門用語を覚えているし、高級車の代名詞である「ベンツ」なんかに興味なくても、いまだ「ランボルギーニ」の名前にはグッとくる▼そんなボンクラだから、「クラシックカーフェスティバル」に“あのディノ”がくると聞けばもう、「きゅーん」である。この「きゅーん」、“三丁目の夕日世代”がミゼットに抱くのとはまた違った「きゅーん」なのだろうな、と思う。セピア色したノスタルジーはなく、むしろ、あざやかなフェラーリレッド。懐かしさではなく、あこがれの再燃▼聞き分けのいい大人になったって、楽しいことは大好きでいいし、かっこいいものにはあこがれていい▼「青春とは人生のある期間を言うのでなく、心の様相を言うのだ」(篤)