カテゴリー別記事: ぞうき林

続・雄日芝

 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、すっかり秋めいた過ごしやすい日が続いている。彼岸明けのきのうの最高気温は桐生市で24度台にとどまり、けさは10度台とこの秋最低となった▼この間までの暑さがうそのようにとも言いたいところだが、桐生市の9月の最高気温30度以上(真夏日)はわずか6日と昨年の3分の1しかなく、15日以降は1日もなかった。厳しい残暑予報がはずれ、よかったり悪かったり。ま、これが普通なんだと思えばどうってことない。季節は遅かれ早かれめぐるものだし▼先日夏の間ずっと気になっていた散歩道の雑草が刈り取られ、すっきりした。市道なので除草の時期が大体決まっているのだろうが、雑草の伸びが落ち着く9月になっても一向にその気配がないので半ばあきらめかけていた数日後のことだ▼連れ立って歩く犬にダニが付いてはと夏に何度か草刈りを試みた歩道。といっても自力で除草したのは歩くところだけなので、ほかは伸び放題だった。それがある日きれいさっぱり。しかし、喜びもつかの間。生命力旺盛なオヒシバは再び伸び始めた。それにしてもあそこだけどうして舗装にしないのだろう。機会があれば聞いてみたい。(ま)

懐かしき味

 取材先で、カステラ生地にようかんが挟まった「シベリア」と久しぶりに出合った。亡き祖母がよくおやつに出してくれたお菓子の一つ。懐かしい甘さが口の中に広がった▼このシベリアが宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」に出てきて驚いた。実はビスロールやみそパンのように「ご当地スイーツ」だと思っていたのだ。しかし、驚きつつも、多くの人の思い出の味だったと知り、うれしさも感じていた▼旅にでかけたら「ご当地グルメを食べてみたい」と思う方だ。この連休に盛岡に出かけた際も「じゃじゃ麺」や「冷麺」の名店を事前にチェック。が、盛岡市で大きなイベントが開かれていたこともあって、有名店の前には長い行列ができていた。連れが行列嫌いなため、夕食は行列のない駅ナカの店でじゃじゃ麺を食べ、冷麺はお土産で購入した▼百貨店の小さなフードコートにもできていた長い行列。ランチではそれを横目にカレーライスを食べた。行列には常連らしき家族連れも多い。昔からの行きつけの店が全国区の行列のできる店になってしまう。旅先ならいいが、普段行列に並ぶのはちょっとつらいなあ▼桐生に訪れた人の思い出に残る味って何になるのだろう。(野)

もうすぐ最終回

 今年の猛暑に、「秋は来ないのでは」なんて思っていたが、きちんとやってくる。本当にたいしたものだ▼お気楽な話で申し訳ないかぎりだが、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」が今週で終了となってしまう。「じぇじぇじぇ!」が日本列島を駆け巡り、これまで連続テレビ小説を見ていなかった人を15分間テレビの前にくぎ付けにしたともいわれ、私の周囲にも同様の人がそれなりにいる▼人気が高まるにつれ、週刊誌の広告を見れば必ずといっていいほど「あまちゃん」の話題が書かれ、終盤に近づくにつれ、ネットの中や週刊誌で「あまちゃんロス症候群」という言葉が目立ち始めた。検索すると、読みきれないほどヒットする。意味は毎日楽しみにしていたこのドラマが終了すると大きな喪失感にさいなまれるということらしい。ある掲示板を見ると大騒ぎだ。私もドラマは見ないが「あまちゃん」だけは録画して一気に1時間半見るのが楽しみだった▼終わってしまうのは仕方ない。次なる楽しみはNHKが紅白歌合戦で「あまちゃん」の中で歌われている「潮騒のメモリー」をどう見せ、聞かせてくれるかで、仲間内で期待を持ってあれこれ推測している。年内はこれで頑張れそうだ。(ほ)

マルメロの絵

 学生という身分で東京暮らしをした5年間は、よく映画をみた。1990年代の前半のこと。いまだ忘れがたい作品も多いのだが、スペインのビクトル・エリセ監督の手による「マルメロの陽光」も、そんな一本▼同じスペインの画家アントニオ・ロペスが、庭にイーゼルを立て、1本のマルメロの木を描く。その様子を映した半ドキュメンタリーの作品なのだが、木の姿、実の位置などを忠実に描こうとするあまり、作品は日々、変わりつづける▼結局マルメロの絵は完成せず、映画もまた、完成しなかったことを告げつつラストを迎える。その未完の絵がいま、来日していると聞き、東北まで足を延ばした。対面かなった絵画を眺めながら、画家が注視したマルメロとの間に、長い時間が流れたことを思った▼絵を描く際に大事なことは、対象と向き合い、じっくりと観察することだと、画家はいう。当たり前のことだと思いつつ、待てよとも思う。果たしていまの時代に、数カ月もかけて一つの対象と向き合うことなど、どれだけあるのだろうかと。長い時間向き合えば、対象への愛情もわく。それが絵画に表れる▼画家の時間尺とはどんなものかのかと、考えさせる。(け)

隣り合わせ

 海の見える丘に寝転んで、空一面の浮遊物を見上げる。クラゲのように漂い太平洋を東へ。戦時中に小学生だった年配女性の楽しげな体験談。浮遊物にくくりつけられたものが手紙だったら、どんなに心弾む出来事だったろう▼しかし現実は違った。米国本土で死者を出した日本軍の“風船爆弾”。日本の子らが無邪気に見送った浮遊物が、無邪気に近づいた米国の子らの命を奪う。日常生活の延長線上に、戦争の残酷さが潜む▼桐生出身の新井愁一さん(29)がカメラマンを務めたドキュメンタリー映画「陸軍登戸研究所」。その試写会が20日夜に桐生市内で開かれた。生体実験に通じる毒物の研究、相手国をかく乱する偽札製造…。敗戦後に歴史から消された研究所の真相に、関係者の証言を集めて迫った話題作だ▼意外に感じたのは、多くの証言者が当時の体験を淡々と、ときに笑顔で振り返っていたこと。若いカメラマンに気負いなく語る姿が印象的だった。戦争体験談にありがちな説教くささは皆無。だからこそ、研究所での穏やかな日常生活と、その研究内容の残酷さとのギャップが際立つ▼戦争と平和は対極にあるとは限らない。むしろ隣り合わせなのだと感じた。(針)