カテゴリー別記事: ぞうき林

文化の継承

 1990年代に生産された軽オープン車「ビート」の部品をホンダが復刻販売するという。黄色い車体で軽快に走る小さな姿が鮮烈な印象を残したが、生産が終了して20年。いまも乗り続ける愛好家にとって、純正部品の再供給は至上の喜びだろう▼古い国産車を維持したいオーナーにとって、部品の手当ては懸案だ。欧州車は安定して部品の供給がある車種が多いのに比べ、日本車は生産終了からほどなくして、部品も絶えてしまうのが一般的だった▼なので、自走できる状態を保つには、中古の部品を探すなり部品取り用の車を別に用意して交換したり、場合によってはつてを頼って町工場に依頼して特注したりと、持ち主は苦労が絶えない▼12回目を迎える「クラシックカーフェスティバルin桐生」に立ち上げから関わっているが、陰にそうした手間暇があって毎年美しい車をみることができるわけで、趣味とはいえ頭の下がる思いだ▼古い車を大事に乗り続けるのだって立派なエコだし、自動車文化を後世に伝え残す上でも意味がある。ガソリン車の時代はもう終わりに近いかもしれないが、ほかのメーカーや車種にも広がっていくといいな。(

言葉の響き

 家を出て、アスファルトに落ちる影の濃さに気付く。見上げれば青い空が広がり、太陽がひときわまぶしい。ゆっくりと北上していた台風5号は、聞いている範囲ではこの地方にさしたる被害を出さずに日本海に抜けて温帯低気圧になり、台風一過の夏の空。厳しい暑さになりそうだ▼じんわりにじむ汗のべたつきを防ぐのに、天花粉を重宝している。要は「ベビーパウダー」のこと(厳密には違うらしい)で、50歳をすぎてなお「ベビー」とはいかがなものかと、あえて天花粉と呼んでいるのだが▼しかしまあ何というか、「天花粉」というのはいい言葉だ。趣というか叙情的というか、字づらもいいし、音としての響きもいい。暑い夏には特に、なんとも清涼な感じがして、いい▼「果物」を「水菓子」という昔の呼び方も、暑い夏には特に、いいなと思う。「白桃」というよりも「水蜜桃」と呼んだ方が、暑い夏には特に、いいなと思う。気分の問題なのだろうけれど、音や字づらの印象というのは考えている以上に影響のあるものなのだなと思う▼8月上旬、まだまだ暑い日が続く。体にこたえるのは間違いないが、言葉を含めていろいろ工夫して、せめて気分はすっきりと、清涼にすごせれば。(

廃墟に立つ人

 新潟市が大正期に建てた旧市長公舎を改修して開いた坂口安吾(1906~55年)記念館「風の館」。木造平屋建てのゆったりとした館は、訪れるたび帰省したように懐かしい▼今回の企画展は5日付本紙で紹介した「安吾と歴史」シリーズ「切支丹への興味」。長崎の浦上天主堂の廃墟に立ち尽くす安吾氏の写真が胸をつく。「文藝春秋」連載「安吾の新日本地理」の取材で1951年6月に再訪したのだ▼かつて東洋一を誇った赤煉瓦造りの教会は、45年8月9日に炸裂した原爆で一瞬にして破壊され、告解中の信徒も司祭も全員が死亡。「浦上切支丹は悲しみの丘を買い取って天主堂をたて、彼らの聖地としたのでしたが、それがさらに天地の終わりとも見まごうような悲しみの丘に還ろうとは」と安吾氏▼残墟が撤去されたのは58年。被爆遺構として保存を求める声も抹殺された。その惨状をキリスト教世界の人に訴える負の遺産として、広島の原爆ドーム以上の力を持っていたからだ▼安吾氏はそれを知らない。「いけないのは、原子バクダンじゃなくて、戦争なんだ」「戦争はいたしません、というのは全く世界一の憲法さ」(「もう軍備はいらない」)と桐生で書いたのは52年だ。(

もうすぐ1000日

 桐生警察署管内(桐生、みどり両市)の高齢者(65歳以上)の交通死亡事故ゼロの連続日数がきのう6日で970日になった。最後の死亡事故は2014年12月10日で、管内の最長記録を更新中だ▼これまでも節目になるたびに触れているが、県内や全国的にみて交通事故死の半分以上は高齢者が占めている状況からして、この記録は奇跡と言っても過言ではない。当地の新たな誇るべき記録とも言える▼ところで、管内の交通事故死者はおととし、昨年と統計史上最少の2人にとどまり、今年は今のところ1人となっている。数年前までは考えられなかった少なさだ。残念ながら昨年12月から続いていた管内のゼロ記録は7月9日に境野町で発生した二輪転倒事故で途切れてしまったが、みどり市内は継続中で、あさって9日で240日になる。それもこれも高齢者の死亡事故が2年8カ月もないことが大きな要因と言えよう▼高齢者のゼロ記録はあと1カ月でいよいよ1000日に達する。ここまできたらぜひ達成してほしいし、さらにその先には丸3年達成という大記録も見えてくる。どちらさまも一日一日、「安全は小さな注意の積み重ね」を実践していってほしい。(

プールの思い出

 きのう4日付5面に載った桐生市小学校水泳記録会の記事を見て思い出した。四十数年前、小学生だったころ。「ああ、自分もこんな大会に出たことがあったなあ」と。長く忘れていた記憶の引き出しからいくつかの場面が浮かび上がった▼桐生ではない。生まれ育った土地の小学校。昭和40年代後半。大会は、ふだん泳いだことのない大きなプール。50メートルプールだったか、とにかく小学校の「25メートル」よりも大きく感じられた。中央が深く、自分には足が届かなかった▼平泳ぎか背泳ぎで出たのではと思う。自由形ではもっと早い子がいたし、バタフライはできなかったから。上位を争うようなスピードを持っていたわけではないので、記録はもちろん、どうに泳いだのかもほとんど覚えていない。ただ「出た」というくらい。大会用に「人数合わせで加えられたメンバーの一人」だったのかもしれない▼大会前の練習が学校のプールで何日間かあった。学校代表としてそれに参加するのは少し誇らしかった。記録を伸ばそうという健全な思いからではない。「周囲から一目置かれたい」。そんな見えを張っていた幼いころの記憶。いま思い出すと、恥ずかしく、ほろ苦い。(