カテゴリー別記事: ぞうき林

踊る楽しみ

 今年はいつにも増して、まつりの衣装が売れているのだと、本紙の記事で紹介されていた。襟のない鯉口シャツに腹掛け、股引と、上から下までひと通り衣装をそろえ、いざ八木節踊りの輪に加わり、思い切り体を動かす。想像してみても、確かに気持ちよさそうだ▼桐生ガスプラザ前、本町五丁目交差点の粋翔やぐらを取り囲むように生まれる、あの激しい踊りの輪に加わろうとするならば、動きやすい格好の方がいい。ゆかた、きものよりも、股引に法被、はんてんといったいでたちの方が踊りやすい▼「そろいの支度で八木節音頭」と、上毛かるたで詠まれるように、友人や家族と同じ衣装をまとって踊れば、一体感も生まれる。踊りの輪に入りたかったけれど、さまざまな理由で踊れなかった。そんな人たちが、思い切って輪に加わる。衣装の購入は一つのきっかけづくりなのかもしれない▼そろいの衣装でなくたって、輪に加わるのは自由。一人で踊っていても、どうせチームのようになってしまうのだから。周囲で踊りの輪をつくる八木節踊りのチームにしても、一緒に八木節を楽しみたいという人の参加は、もちろん妨げていない。桐生祇園祭ともども、真夏の祭典を堪能してほしい。(

まつりの品格

 毎年思うことだが、大間々祇園まつりは不思議だ。ふだんはお世辞にもにぎわっているとは言えない大間々の本町通りに、この3日間だけは奥の方から人が湧き出るように現れては、和やかに穏やかに、明るく楽しそうに、老若男女の町衆たちが自らにぎわいを創出する。決して派手ではないが、伝統に根ざした荘重さや力強さを感じさせる、とてもすてきなまつりだと思う▼今年の当番町、大間々2区の神尾涼花さん(小6)は「ここに生まれて、おはやしをたたけて幸せ。喜びを感じます」と笑顔をみせた。年に1度、山車に乗り、祇園ばやしを演奏することが、大間々っ子の誇りとなり、一生失われない郷土愛になってゆく▼ところで、同まつり2日目を終え、交通規制が解除された夜の大間々中心街を歩くと、露店が屋根を閉じて静まり返った本町通りには、ごみがほとんど落ちていない。主催者側の呼びかけや露店の協力が大きいのだろうが、こういう風景を見ても、大間々の街の品格のようなものを感じる▼あすから桐生の夏の一大イベント、桐生八木節まつりが始まる。存分に酔い、思い切り踊り狂っても、一人ひとりの、そして桐生という街の品格は失わないようにしたいものだ。(

心のナンバー1

 旅先で印象に残った食べ物がある。遅れた飛行機を待つ空港で心細く食べたオートミール、定食屋のおじさんが釣った名前もわからない川魚の刺し身、植物園で食べたレトルトであろうにんじんすりおろしスープ▼心に残る出会いを「もう一度味わいたいな」と思っても、なかなか再現できない。そりゃそうだ。食べる心境が違う。オートミールのもってりした優しさはひとりぼっちの不安を和らげて、新鮮な刺し身には作り手の心遣いがあった▼さて先述の「にんじんスープ」。あれはちょっと別物で、場のなせる業だったと思う。さわやかに晴れた日、植物は豊かな色合いの日光に照らされて、空気の匂いはすっかり秋だった。そこに橙色した甘いにんじんスープである。旅先の味は現地でこそ最大に響くもの。思えば味は濃かったし冷めてしまっていたけれど、数年たった今も心のスープナンバー1だ▼この地域にもまた、生活と風土に合った食べ物があって、日々の暮らしを支えて体をつくってくれている。頬をなでる風の温度、空気の重さ、夜と朝に感じるしけった匂い、この目に映るすべての色。ひとつひとつ、地域の要素を感じて一皿を味わう。それだけでもう、十分だと思うのだ。(

再会を待つ

 その少年はひときわ目を輝かせながら、食い入るように実験を見つめていた。「水に浮く軽~い金属を作ってみよう」と題した研究体験。「ものづくりが大好きなんで、そういう道に進みたいんです」と彼は興奮ぎみに語った▼群馬大学理工学部で7月30日に行われた高校生向けの体験イベント。大学や研究機関で行われている最先端の研究成果に触れることで、子どもたちに科学のおもしろさを感じてもらう日本学術振興会のプログラムの一環だ▼テーマは、スポンジのように材料の中に空気の孔がたくさん入ったポーラス(多孔質)金属。重くて硬くて冷たい従来の金属のイメージとは真逆で、軽くて柔らかくてぬくもりのあるユニークな新素材という▼ロケットや飛行機、電車、自動車…。軽量で変形しにくく局所的な力に衝撃吸収性を示す同素材が、今後どのように活用されていくのか考えるだけでワクワクしてくるそうだ。根っからの文系人間の自分にも、少年が発する熱は確実に伝染した▼「まずは合格できる学力を身に付けるのが先決」と笑う少年は、静岡県富士市の自宅を朝5時すぎに出発し、数時間かけて来桐したという高校2年生。桐生で再び会える日を心待ちにしている。(

残念ではない

 「台風発生が身体の変調で分かるんです」。こう言うと人は「地震はどうですか」と聞いてきて、「地震の予知はできません」と答えるとたいがいは「残念ですね」という反応になる▼言外に「それじゃ役に立ちませんね」というわけだ。実際、体のだるさや不快感などの特徴的症状が出て、やがてテレビが台風発生を告げるというだけの経験則だ。当然世の中の役に立つはずはない。が、自分自身の中でどうかと考えると、そうでもない▼台風以外にも前線活動やその他もろもろに反応し、桐生市出身の生気象学者神山恵三さんの「気象と人間」を読んで、それが気象病であると自分なりに理解できたのは30年以上前のことである▼オランダの古い法典には人を傷つけ、気象に敏感な後遺症を残した場合は刑を重くするという条文があるそうだから、気象と体調の関係はずいぶん昔から知られていた▼結局、それと付き合うしかないのだと覚悟を決め、不調に負けない体づくりに取り組んだ。その延長に面白い世界が広がっていたからである▼それが私の「残念ではない」理由のひとつ。快適とは何かという肝心な部分を気象病が教えてくれたのだ。いまも近海に台風二つ。がまんのとき。(