カテゴリー別記事: ぞうき林

伝わるぬくもり

 繊維産業は衰退産業だと、一般的にはみられている。分類上は軽工業で、発展途上国が工業化し始めたとき、主要産業となるのがよくあるパターンで、途上国から大量の繊維製品が輸入され、海外高級ブランドさえも生産地に中国などを活用している現状をみると、厳しいのには違いない▼だが、考え方次第で、道はまだまだあるのだと、こいのぼりの捺染(なっせん)で知られる桐生市境野町の染め工場、平賢の新しい取り組みをみて実感している。本業の技術を生かした桐生らしいものづくりで地域を発信したいと、入社丸10年の小山哲平さん(33)が手拭いの生産を始め、消費者に届けはじめた▼地場の繊維産地を回っていて、「これは作っていないな」という物の一つが手拭いだった。正確には、決して作っていないのではなく、本格的に小売りするところがなかった。手拭いメーカーとなった同社は、商品名も直球で「桐生手拭い」にした▼若者にも好まれるだろう高感度のデザイン。柄に「KIRYU」の文字をさりげなく入れ込むなど、地域を発信したい思いを形にした。手染めで丁寧に仕上げられている背景を知ると、作り手のぬくもりが布から伝わってくるようだ。(

志士と烈婦と

 旧黒保根村が誇る名誉村民に、星野長太郎と新井領一郎がいる。長太郎は官営富岡製糸場開業から2年後の明治7年、民間初の器械製糸所を水沼に創業。全国から伝習工女を受け入れて蚕糸産業振興に尽力。弟の領一郎は明治9年に弱冠22歳で渡米、誠実な取引で日本生糸の信用を回復した▼その二人と初代群馬県令の楫取素彦、寿夫妻が向き合う銅像が、前橋公園に立つ。吉田松陰の形見の短刀を、妹である寿が領一郎に贈る場面だ。松陰は海を渡ろうとして果たせず、安政の大獄で刑死。その魂がこもった短刀である。渡米するに当たっての志を奮い立たせ、心底から支えただろう▼子孫の楫取能彦さん(70)は「寿は激しく、松陰が心配したほどの烈婦。まじめな素彦とは相性が良かったようです。兄の形見を渡すとは素彦も驚いたと思うが、性格でしょうね」と語る。「楫取の記録は空襲で焼けて、ない。短刀はアメリカに渡ったから残った」とも▼その短刀の逸話は領一郎の孫ハル・ライシャワーの著書「絹と武士」で初めて世に知られ、ひ孫のティムさん(57)から前橋市に寄託され、一般公開の運びとなった。桐生にもきちんとした収蔵庫と学芸員のいる展示施設があれば…と思う。(

イズミの功

 桐生が岡動物園のシンボルで、雌のアジアゾウで国内最高齢だった「イズミ」が死んだ。今月22日に62歳の誕生日を迎え、祝福を受けるはずだった。無念である▼イズミに興味を持ったのは4年ほど前に開園60周年特集を担当してから。取材で、戦後のゾウブームを背景に2歳の時にタイから来日し、9歳まで静岡県熱海市泉の温泉旅館が経営していた動物園で過ごしたが、閉園後、最後まで引き取り手がなく、不遇な時代を送ったことを知る▼イズミという名はその地名に由来し、当時からそう呼ばれていたことも知った。ついでに、公表されている、元居た動物園の場所が「神奈川県湯河原市泉区」というのも誤りで、県境の川をはさんだ熱海市域だったこともわかった。その一帯(元居た動物園も)は湯河原温泉エリアであり、最寄駅も湯河原駅。また開園当時に湯河原町への編入をめぐりもめたこともあり、あり得る間違いとも思った▼桐生に来てからは動物園の三種の神器の代表格として、丘の上の小さな家で一隅を照らし続けた。悲しい出来事もあったが、53年間、その姿に癒やされた人は数知れず。イズミはいなくなったが、人々の心にはいつまでも居続けるはずだ。(

生きた言葉

 映画「3月のライオン」(大友啓史監督)の前編を見た。原作となった羽海野チカの漫画が好きで、勝手に「見届けなくては」という使命感に燃え、映画館に駆けつけた▼原作に思い入れが強い作品の実写化は楽しみより、不安が大きいが、映画は「面白かった」。原作を、あるいは将棋の世界を知らない人には、この展開で話についていけるのか、聞きたいところはあるが▼ただ、楽しくは見たが、残念に思ったことが一つある。上映中の作品なので詳しくは語らないが、大好きな場面の一つで、印象に残るセリフがなかったのだ▼しかし、時間がたつにつれ、なくて良かったと思えるようになった。書き言葉と話し言葉は違う。俳優があのセリフを言ったら、映画の世界から言葉が浮き上がってみえたことだろう▼コロンバス市に派遣された高校生の報告会を取材した。日本語が通じない環境が「つらかった」と語った高校生。それでも「同年代とはスラスラ話せなくても通じ合えた」と振り返る▼言葉はあくまで道具で、何を伝えるかの方が重要だ。だが、伝え方で伝わり方は違ってくる。どんなに優れた翻訳機が生まれようと、どう伝えるかは人間が考えなければならない問題だろう。(

ファインプレー

 どこかで見た顔だなあ。懸命に記憶をたどるも、あと一歩で出てこない。桐生市役所で3日に行われた新規採用職員の辞令交付式。「金丸稔」。「はい」。名前を呼ばれた青年が、笑顔で返事をした瞬間、はっきりと思い出した▼ボールをつかんだグラブを突き上げ、雄たけびを上げて何度もジャンプしながら、仲間が待つ場所まで笑顔で駆けてくる。5年前。夏の甲子園をかけた高校野球県大会で4強入りし、旋風を起こした桐生南高校のヒーローの姿だった▼前橋工を破って臨んだ樹徳戦。1点リードの延長十一回裏2死一塁、快音とともに大飛球が外野を襲う。樹徳の同点打、逆転サヨナラか―。そう思った瞬間、懸命に背走するレフト金丸が飛びつき好捕。一世一代のファインプレーで危機を救った▼清流中出身の168センチ70キロ。本職はセカンド。地元出身の小柄な選手たちが、強豪校を次々と破る快進撃。その立役者の一人として当時の桐生を沸かせた▼「あの金丸君かい」「はい、元桐南野球部です」。ユニホーム姿から真新しいスーツ姿になったものの、人懐っこい笑顔は変わらない。桐生消防署配属。今度は消防職員として、市民を守る“ファインプレー”を頼みますよ。(