いのちの春

 まだ醒めやらぬ寝床に届く、ウグイスの声。うまくなったねえと思うのはもう、うつつに戻されているということ。新しい春の、花ばなと芽吹きの、またよみがえったいのちの、放出、共鳴、交響。寒夜も生きて生き延びて、朝はまた来た。目覚めるのだ▼美しい「花」がある。「花」の美しさといふものはない―。そんな託宣が降りてきて、見つめたのは菜の花だ。前夜、一把みな茹でてしまわずに、救出して花器にさしておいた一本だ。セロハンに固く包まれてスーパーの棚に置かれていたものだから、茎は曲がってしまっていた。一晩たってもまだ曲がったままだった▼その日は、いけばな草月流群馬支部の研究会を取材したのだった。黒いゴムを巻き付けられたカラーや、コルクシートにはさまれたドラセナ、葉をむかれた雲龍柳などがクールな造形と化して、素人目にも、とても新鮮だった。いったん死んだ花が、別の命としてよみがえったと見えた▼菜の花の小さな黄色がかわいくて、葉に抱え込まれた蕾も可憐。茹でられたものたちはもう、わたしのからだの一部になってしまっただろう。取り返しのつかないことを日々折々にして、それと気づかずに、生きながらえている。(

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