授かった時間

 いろんなことを考える時間ができた。というか、授かった時間なのかもしれない▼34年前に父が亡くなった。その遺影は母が選んだ。享年より十数年前の、当時は定年間際の年ごろだったが、一人前には及ばない子どものために、資格を生かす道へ進もうと、すでに心に決めていたころの顔である▼母は写真を部屋に飾って、卒寿まで、朝は掃き掃除の後に仏壇を拝み、チーンという音で電子レンジから温めた牛乳を出し、卵焼きを作り、朝食を済ませてからは決まった場所で静かにテレビを見て、家族を見送って迎え、夜は8時に「おやすみなさい」と布団に入る。そんなふうに少なくともこの20年、同じ日課を積み重ねてきた。その母の遺影を、今度は筆者が選ぶ番になった▼90歳を前にした写真は、いつもの場所でいつものように笑ってくれた1枚である。父母の遺影を比べれば年の差は隠しようもないが、長い時間を共にして数々の場面がある中で、ふしぎと迷わなかったのである▼斎場を出て、務めを終えて家に戻ると、病院生活の2年半を懸命に耐え、やっと戻れた自宅の部屋で、祭壇の花に埋もれて笑ういつもの母の顔があった▼「ただいま」と、自然に声がかけられた。(

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