廃墟に立つ人

 新潟市が大正期に建てた旧市長公舎を改修して開いた坂口安吾(1906~55年)記念館「風の館」。木造平屋建てのゆったりとした館は、訪れるたび帰省したように懐かしい▼今回の企画展は5日付本紙で紹介した「安吾と歴史」シリーズ「切支丹への興味」。長崎の浦上天主堂の廃墟に立ち尽くす安吾氏の写真が胸をつく。「文藝春秋」連載「安吾の新日本地理」の取材で1951年6月に再訪したのだ▼かつて東洋一を誇った赤煉瓦造りの教会は、45年8月9日に炸裂した原爆で一瞬にして破壊され、告解中の信徒も司祭も全員が死亡。「浦上切支丹は悲しみの丘を買い取って天主堂をたて、彼らの聖地としたのでしたが、それがさらに天地の終わりとも見まごうような悲しみの丘に還ろうとは」と安吾氏▼残墟が撤去されたのは58年。被爆遺構として保存を求める声も抹殺された。その惨状をキリスト教世界の人に訴える負の遺産として、広島の原爆ドーム以上の力を持っていたからだ▼安吾氏はそれを知らない。「いけないのは、原子バクダンじゃなくて、戦争なんだ」「戦争はいたしません、というのは全く世界一の憲法さ」(「もう軍備はいらない」)と桐生で書いたのは52年だ。(

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