アオダモの木

 若くて一途な研究者だった。鳥や草木や虫や天地のことで、こちらが尋ね、彼が知らないと言ったものが思い浮かばない。近郊の山のフィールドワークを何度も共にしてきて、それが実感である▼解説が実に丹念で、語りを止めて観察対象を見つめ、また話しだす。その視線には必ず、空や海の透明度を見極めていくような深い集中があった▼熱心さが高じて、時折、優先順位を間違えた。観測機材を詰め過ぎて防寒着を忘れたとか足りない部分の「らしさ」も彼が愛されたゆえんである。そこを温かく補って、遠方からやってくる彼の活動を温かく支えた桐生の人は多い▼ある日、山の尾根で出合った古木に向かって、めったに感情を表さない彼が「これはすごい」と、しぼりだすように言った。そして、じっと見上げていたアオダモの木▼21世紀の17年余り、こんなふうにして桐生をフィールドに貴重な基礎研究を幾つもまとめた彼が、ふいに逝ってしまった昨年暮れ。いまもって現実感のない喪失感が、ひと月を過ぎてもそのときのままである▼ことしはもう一度、あのアオダモの木に会いに行ってみよう。彼の心がひょっとしてまだ、そこに残っている気がするのだ。君を、忘れないために。(

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