富士山の入山料

 世界遺産に選定された富士山入山料の試行が始まった。千円は妥当な額だと納める人、高すぎると払わない人、任意は不平等だという指摘など、反応はさまざまだったようである。

 富士山が日本を代表する山であることを疑う人はいない。桐生にもフジと呼ばれる山がいくつもあるし、富士山信仰の浅間神社もあって、多くの市民にとってフジは身近な存在なのだ。

 富士山は5合目より上に登ったことがない、そして、たとえ行ったことがなくてもである。

 山頂付近の様子は吾妻山や鳴神山や根本山、あるいは赤城山や東町の西山林道などから秩父連山を一頭地抜け出る姿として眺めることができる。それで十分に心が満たされる山だから。

 黒兵衛天狗の民話で知られる群馬栃木県境の根本山神社は江戸末期、関東一円から東北の地まで、広く信仰を集めていたことで知られている。「桐生市史別巻」がその縁起伝説にふれていて、そのむかし、役行者が富士山に登って東北を望んだときに、天にたなびく瑞雲の根のほうにうっそうとした木々に閉ざされた「怪岩地に峙つの奇峰」があって、これを根本山と名づけ、のちに弘法大師が東国飛錫のときに登山して「神霊擁護の地なり」といい、中興の法師良西がついにこの霊境を開いたと伝えられている。旧領主の井伊掃部頭は、こうした由緒を崇めて毎年祈祷を行ったという。

 富士とつながればありがたさが変わる。人の心模様である。

 さて入山料の千円。人それぞれの受けとめ方があるだろう。

 オーバーユースの問題は山の環境に多くの課題を投げかけている。登るからにはしっかりそういうことはわきまえたい。入山料は当然だと考える人はいるし、それは金額の問題ではないという人もいるだろう。一方で富士山の世界遺産登録自体に多様な思いがあるように、山の楽しみ方はまちまちだし、意見は千差万別だ。だからこうした試みを通じて、どのような考え方があるのか、広く集めることはとても大事なことである。

 それと同時に、環境を守るためにこうした入山料はどのように使われるのか、その基本も固めたい。利用者の要望にどこまでこたえるべきなのか、自然を楽しむことには多少のがまんが必要だという一線をどのように見きわめていくのか、あわせて検討していかなければならないことは多いように思う。

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