センテナリアンの時代

 桐生市の最高齢者、中島ヤスさんが2月27日、108回目の誕生日を迎えた。ことしが9回目の年女である。祝う会での笑顔と「ありがとうございます」というご本人のことばを新聞でみた。これからもどうかお元気でと、心から願うのである。

 厚生労働省が3月1日に発表した「完全生命表」によると日本人の平均寿命は男性が80・75歳、女性が86・99歳で過去最高を更新した。主要7カ国と比べて男女とも最も高いという。

 中島さんが生まれた1909年は明治42年である。そのころの平均寿命確定値は男性が42・8歳、女性が44・3歳だった。

 20世紀の初頭は、大衆という言葉を時代の主役に押し上げていく事象がいたるところで芽生えたころである。世界ではフォードT型が誕生し、自動車の大衆市場をさきがけた。日本では大衆誌ブームの仕掛人野間清治が講談社の前身となる「雄弁」を創設したころと一致する。

 資料によれば、生糸が日本経済をけん引し、日清と日露という戦争を背景にして、日本的な産業革命も確立されていた。

 こうした躍進の中でひときわ注目されるのが、それまでは西洋の模倣でしかなかった科学の領域に独創的な若者たちが登場し、成果を生み出していったことだという。伝染病の世界で北里柴三郎や志賀潔、秦八郎。

 脚気病については栄養障害説を採っていた鈴木梅太郎が、治療に効果的な米ぬかの成分を抽出してオリザニンと命名した。

 また癌研究会が発足して、がん化メカニズムの解明に取り組み始めたのもこのころである。

 高峰譲吉が消化酵素タカジアスターゼの日本での特許を取得し、池田菊苗が昆布から取り出したうまみの素グルタミン酸塩の工場生産が開始されたのも同年だ。医療環境、食の環境がどんどんと改善されていき、この100年の人々の長生きを支えてきたことがうかがえるのだ。

 センテナリアンということばを最近よく耳にするようになった。100歳を超えた人々のことで、いま世界では、この人たちの長生きの秘訣が重要な研究対象になっているようである。

 この先100年、現代の医学や衣食住環境は、人々の寿命とどうかかわっていくのか。

 健康寿命とか、さらには生きがいとか、それを支える社会の仕組みをどうするか、とか。課題は山積だが、胸躍る明るい未来を描きたいものである。

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