いつか誰かの役に立つ

 今週末に開催される二つのイベントの役割について考えてみたい。一つは足尾で開かれる春の植樹デー。もう一つは群馬大学桐生キャンパスで開かれるアースデイin桐生である。

 今年で22回目となる春の植樹デーは、明治期の銅山開発の影響で荒廃してしまった渡良瀬川源流の山々を整備し、みんなで落葉樹の苗木を植え、緑なす森を目指そうという取り組み。阪神淡路大震災の翌年、160人の参加者で始まった運動は今、全国から1800人超の有志が集まるイベントに成長した。

 一方のアースデイは2006年に始まった環境イベント。地球温暖化を促す化石燃料の利用を抑え、大量消費・大量廃棄の暮らし方を改めようと、生活の知恵や具体的な道具などを持ち寄り、紹介し、いいものを共有しようという取り組みである。

 二つのイベントに共通するのは、視界の広がりと深さだ。

 自分が植えた苗木が根を張り、たくさんの枝葉を茂らせるまでには、おそらく20年、30年といった時間が必要になる。夏が過ぎ、枯れた葉が落ち、分解され、朽ちて土が肥える。結んだ実が落下し、ひと冬を越して発芽し、それが苗木となり、いずれ大きく成長する。こうしてゆっくりと代を変えながら、水源の森が少しずつ再生を遂げてゆく。植樹後の道筋である。

 アースデイについても、目標に向けた道のりは遠い。人の社会活動によって生まれた温室効果ガスが、気温や海水面の上昇に影響を与えていると、各国の専門家たちでつくる政府間機構(IPCC)は研究成果を伝えているが、産業革命の時代からこれまで、着実に上昇してきた気温を下げるためには、たぶん同じだけの時間が必要になる。

 それでもこうした活動にむなしさが伴わないのは、今の活動の成果が時間をおいて、いずれ私たちの子孫に贈与として受け取られるであろうという、やんわりとした期待があるからだ。

 いますぐ助けが必要な人がいれば、あるいは社会的課題があれば、誰かが具体的に手を差し出す必要がある。政治などもそのための仕組みであるはずだ。

 環境問題のように、成果がいつ、どのように現れるのか分からないような、手間のかかる取り組みについては、政治だけでは解決が難しい。気長にこつこつ、課題と向き合う。そんな有志たちの取り組みにこそ、閉塞感を打ち破る力を感じる。 

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