立ち止まり、考える

 「平和は力によってのみ初めて達成される」。来日したペンス米副大統領が、安倍首相との会談で語ったことばである。

 力とはもちろん、外交的な圧力を指すのだろうが、その後ろ盾として圧倒的な軍事力が存在することを、米国は最近、積極的に展開してみせている。

 深刻化する内戦、あるいはテロの脅威、挑発的な行為を繰り返す国に対し、以後は強硬手段も辞さないという姿勢転換だ。

 世界の指導者のことばが、どんどん荒く、大声になっていく印象を受ける。人の心は時代の空気に反応しやすい。いまはこれが効果的だという計算や政治的判断があるのだろうか。

 かつて日本には、国際社会の中で自分の国がどのように孤立しているのか、それを国民がまったく知らないまま、戦争に臨んでいった時代があった。

 戦争に敗れ、指導者の勇ましいことばの中に潜むもろさというものを実感し、その反省に立ち、これからは国際平和に貢献していかねばならないという理想を掲げてきた日本である。

 外に対して強く出るということは、一面で排他的になる状況を避けることができない。このバランスをどう保ち、国際的な秩序に結び付けていくか、二つの世界大戦の反省を経て、世界は何度か転びながらも、どうにか戦後70余年を歩んできた。

 その試みに亀裂が生じ、秩序の枠組みが問われ、強いことばが息を吹き返した現在である。

 「これでいいのか」と素朴な疑問は浮かびつつも、強いことばに変わる現実策がなかなか見いだせないもどかしさ。世界の人々が抱えている葛藤である。

 ただ、「これでいいのか」という思いは、あくまでも対話が肝心だという理想からずれないために大切にしたい立地点だ。

 千葉県でベトナム国籍の少女が殺害された事件で、容疑者の逮捕を受けてコメントした父親は、叫びたいような気持ちを抑え、これは国際問題だという意識を明らかに持ち、ことばを選んだ。その姿に胸を打たれた。

 遮断機が下りた踏切内の老人を助けようとして亡くなった銀行員の行動を知り、どれほど多くの人が衝撃を受けたことか。

 そんなふうに心が揺さぶられるのは、ことばを選ぶことや他人のために懸命になる行動の尊さを理解しているからこそだ。

 立ち止まり、考える。すぐに正解を出すことより、必要なことがあるように思うのである。

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