声を出して本を読む

 声を出して本を読む時間を持つように心がけている。朝の15分、あるいは夜の15分。年初から続いているので三日坊主のそしりを受けずに済んでいる。

 最初は長編に挑んだ。いまは日本の作家の短編を2、3回に分けている。宮沢賢治、そして芥川龍之介の作品になった。

 とりあえず手元の本で。今後は図書館を利用しながら、当面は二人の作品でいくつもりだ。

 人の邪魔にならないような場所を選び、声を張らない気配りも必要である。だが、そうまでしても、声を出して本を読む意味はあると、個人的には思う。

 高齢で、長患いの人の見舞いにいくと、声を出したくとも出せない人が大勢いる。声が出せることはどれほど幸せなことかを教えられて帰ってくる。つまりは、健康の大切さである。

 声を出して読むと、誰もがきっとそうなるはずだが、自分自身を相手に、しっかりわかりやすく読むことを、自然と心がけるようになっていく。これは対話だと、そう言ってもいい。

 年齢と共に、まして朝は滑舌が悪かったりするが、15分読み続けると滑らかになってくるのはやってみての実感である。

 「老化防止ですか」と聞かれれば、もちろんそうである。でも、継続している理由はそれだけではない。「面白い」のだ。

 読む本はいまの話題作でもいいのだが、あえて戦前の作品を選んだ理由は、声を出して読んでいると、響いてくる日本語が実に新鮮に感じるということに尽きるだろうか。その人が生きた時代に、西洋的なものをどう受け入れ、あるいは東洋的な思想をどう守っていたか、これを表現することばがなにしろ多彩なのだ。そして、細切れで読んでも筋は頭に入ってくる。

 読んで、調べてみないと読み方のわからない漢字、単語にしばしばあたる。そうやって調べる時間とも長くご無沙汰していた気がして、それも楽しい。

 さまざまな立場の人の思いをさまざまなことばを駆使して理解しようとする作品と、それに対応できる当時の日本語の豊かさを、声を出すことでほんの少しだが、感じることができた。

 いまの世の中よりずっと貧しく不自由だった時代の生き生きしたことば。声を出せない人から教えられた健康のありがたさの意味は、私たちが享受している民主主義のありがたさにも通じているはずだ。大事なことはやはり、声を出すことである。

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