専門家と安心

 情報にはいつも安心の側面と不安の側面がつきまとう。例えば医大生や研修医の中には、ちょっとした身体の変調が講義で習った病気の症状に似ていると悩む人が現れる。これを医聖にあやかって「ヒポクラテス症候群」と呼んでいるそうである。

 地球規模の気候変動が生活実感となっている昨今、新たな外来生物の侵入が話題になるたびに、懸命な水際作戦が展開されている。未知の生物に不安をあおられて、過剰なまでの反応に発展することも珍しくない。

 毒があるという情報で生活が脅かされるのだ。騒ぎになるのは当然のことで、やがて時がたつと沈静化していくのが常だ。

 沈静化していくのは、私たちが慣れていくわけではない。その道の専門家が、外来生物に関する正しい情報を発信し、それが浸透するまでの時間である。

 先日、兵庫県の児童がヤマカガシに咬まれ、幸い一命は取りとめた。記憶を頼りに1981年のスクラップをひもといてみたら、70年代に相次いだ被害例を受けて「もう無毒蛇とはいえません」と語る日本蛇族学術研究所担当者の話が載っていた。

 あれから36年。咬まれたというのはいまもヤマカガシの本当の姿が理解されていない証しで、言い換えれば、おとなしい性格も知られぬまま、毒があるということだけが一人歩きしてしまうことが今後もあり得るのだと、そう感じられたのである。

 安心とは、ものの見方を変えるところから生まれてくる。私たちは昔から、刺されたり咬まれたりしないようにマムシやスズメバチと付き合ってきた。

 有毒植物を食さぬように気をつけたり、かぶれたり腫れたりしないようにもし、食中毒にも神経を払っている。そうした日常の中に対策さえ落とし込めれば安心は生まれるのである。

 そしてこの安心を促していくことこそ専門家の役割なのだ。

 物理学者中谷宇吉郎は「そんなことがあるはずはない」と言い切れる人がいれば、流言飛語は蔓延しないと書いている。

 一方で「もはや論議のときではない、唯実行あるのみというような風潮の中ではこの精神は養われない」とも。さて、現代はいったいどちらなのか。

 混乱をきわめた安部内閣の新体制が固まった。政治家は、国民の不安をあおることなく、自分の考えに基づいて立派に安心を伝えていけるような専門家であってほしいと切に願うのだ。

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