フォスターの「故郷の人々」

 「スワニー河」は米国を代表する作曲家フォスターの「故郷の人々」の別名である。郷愁と哀歓に満ちた美しい調べはほとんどの日本人が知っているといっても過言ではないだろう。

 独学で音楽を学びながら、不遇な暮らしの中でひたすらうたを作り続け、創作力と想像力を放った37年の生涯。作品は南部の黒人霊歌の影響を受けた。

 とりわけ、彼のうたが全土に広まっていく過程で重要な舞台となったのが、黒人風の歌や寸劇で人気があった大衆娯楽、ミンストレル・ショーである。

 奴隷制度廃止をめぐって南北が激しく対立していたころの米国は、一方では異文化の出合いの場と化し、フォスターは身近に聴いて育った黒人音楽を数々の要素と融合させて、新しいアメリカ音楽を練り上げていく。

 「故郷の人々」の主題は、スワニー河の畔に住む人々を懐かしむ黒人放浪者の心情である。

 このうたが誕生した1851年、作詞作曲者は別人の名前になっていた。生活のために彼が版権を安く売り渡したからだ。

 これについては、フォスター自身が黒人歌の作曲者を名乗るのをためらった結果だという話もある。フォスターは奴隷制度に反対していたが、うたの動機は社会批判よりも深い人間愛のほうにあって、心が揺れ動いたのは事実だったようである。

 その迷いを吹っ切り、版権返還に動いたフォスターは、南北戦争最中の64年に死去した。版権が彼に戻ったのは死後15年を経てのことだったという。

 米国の人種問題には絶えず論議しあう環境があって「故郷の人々」の歌詞にも後世、手が加えられてきた。長く歌い継がれている事実には再評価に基づく裏付けが伴っている。そこにフォスターのうたの神髄がある。

 差別はなくならないからこそ厳然と戦うのだと、その実践を怠らない米国の精神は、トランプ政権下で起きた今回の人種問題に関しても確かに機能した。

 帰りたくても帰れない事情の背景には常に何がしかの分断が存在する。今は分断の時代だ。

 弾道ミサイルをはさんで激しいことばの応酬を続ける米国と北朝鮮。1960年代、ザ・フォーク・クルセダーズが世に紹介した「イムジン河」は、分断された北の大地から河の流れに故郷への思いを託すうただった。

 人の叙情は洋の東西を問わない。それぞれが抱く対話の意思がそこで共鳴し合えるといい。

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