自然とともにある暮らし

 私たちが暮らす桐生みどり地域は、豊かな自然に恵まれている。せわしない暮らしにストレスを抱えつつも、穏やかな気持ちを取り戻せるのは、自分とは異なる価値観で生きている生命の存在が大きいのだと、いつもそんなふうに思っている。

 空を飛ぶ鳥、草花に蜜を求める蜂、どっしりと立つ落葉樹、そうした生命とふれあうたびに気持ちがリセットされるようでいつの間にか救われている。

 先日のなんでもダイヤルで「自然の豊かさ」をめぐるやりとりがあり、興味深く拝読した。地方に自然があるのは当たり前で、自然を自慢するのは、ほかに何もないことを宣言しているようにも聞こえる。そんな問いかけに対し、豊かな自然はやはり都会にはないもの。その土地固有の自然もある。自分たちの手で自然を守り、外部に向けて発信してもよいのではないかと、そんなやりとりだった。

 自然のとらえ方はなかなか難しい。うっそうと茂る山の木々を眺めるとき、あるいは透き通った川の流れを見るとき、そこに自然を見いだすことはたぶんたやすい。一方、整然とした稲田を眺めるとき、そこに自然を感じる人は少ないかもしれない。おそらく人が生み出した景観だと見て取れるからだろう。

 ただ、稲田に近づいてじっと眺めてみると、無数の小さな生命が息づいていることに気がつく。こうした生物をとらえようと、さらに、からだの大きな生物が田の周囲に息づいている。

 隣のクヌギ林では、子どもたちがクワガタやカブトムシを探している。シイタケ栽培で使うほだ木を確保するために植樹した林だが、ここにもまた多様な生きものが生息している。

 人は必要に応じて自然に手を加え、暮らしを豊かにし、社会を営んでいる。こうした、人間を取り囲んでいる自然や社会のことを、西洋では環境と呼ぶ。日本ではおそらく風土と呼ばれるものに当たるのだろう。

 田もクヌギ林もその土地の風土であり、そこに生きる小さな命を含めて豊かな自然の構成要素なのだと、改めて思うのだ。

 手つかずの自然などこの国には多くないはずだ。人の暮らす土地にはそれぞれ固有の風土があり、地域住民の暮らし方やものの考え方、文化とつながっている。豊かな自然にも人の暮らしが深く関わっている。自然と共生する価値観が私たちの根底にあることの証しなのだろう。

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