それぞれの改憲論

 年明け早々に見たアニメーション映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)は、広島市で生まれ呉市に嫁いだすずを主人公に、彼女が過ごす戦時下の呉の日常を丹念に描き出した。米軍の空襲を受けながらも、生活の片隅にささやかな喜びや希望を見つけ出し、懸命に生きる登場人物の姿に、大きな刺激を受けたことを今も覚えている。

 そのリアリティーは普遍性を持つもので、ひとたび戦争が始まってしまえば、為政者や戦地の兵士だけでなく、武力を持たない無辜の民までも攻撃の対象となりうる。戦争とは、紛争を解決するためには敵対する国民を殺してもやむなしと、国家が容認する事態だからだ。

 ただ、攻撃を受けた土地には必ず、懸命に生きる人々の暮らしがある。それがどこの国だろうと、毎日の営みが脅かされることに変わりはない。第2次世界大戦を経験した日本人にとって、こうした想像は難しくないはずだと、そう信じている。

 だからこそ、日本人だけでも300万人を超える犠牲者を出した悲惨な戦いを経て、戦後の日本は国家ぐるみで反戦・非戦の国となった。そのことを裏付ける文言が、戦力を持たず、交戦権を否認し、戦争の放棄をうたった憲法9条であるということを、私たちは理解している。

 衆院選を前に、政権与党の自民党が公約を発表した。六つの重点項目の中には憲法改正も盛り込まれており、国民の改正論議を喚起するつもりのようだ。

 国家ぐるみで反戦・非戦の国となったのだから、再び国家ぐるみで交戦国に変わってもおかしくないと、哲学者の鶴見俊輔氏は生前のインタビューで語っていた。国家という大きな器に対し、つねに疑いの目を向け、小さな個人の力にこそ期待をかけた哲学者の言葉には、たとえ戦中でも個人には人を殺さない自由もあるはずだと、戦時下のインドネシアの海軍武官府で悩んだ体験という裏打ちがある。

 戦後、この国の為政者たちが識者の判断を仰ぎながら、よくよく考えて運用してきた経緯を持つ憲法である。矛盾をはらむ解釈もあるが、運用のしにくさは、時として権力者を立ち止まらせ、国民に考えるきっかけを与えてきたことも事実だ。

 日本に限らず多くの人の暮らしを守るために、いま改憲をすべきなのか。改めるとすればどこをどう変えたらいいのか。想像力を働かせ、考えるときだ。

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