役立ちたいという思い

 納税した金が適正に使われているのかどうか、納税者が気にするのは当たり前で、そこに不正の影がちらつき、せっかく納めた金が適正とはいえない使われ方をしているのではないかと疑いが生じれば、口を差し挟みたくなるのは当然のこと。

 税金という仕組みを受け入れ法律をつくり、この国で暮らす者の義務としてこれを納めている根拠も、納めた金が国や自治体の政策に基づき、適正に振り分けられ、私や、私たちの暮らしをよくすることに生かされるものだと信じているからだ。

 ただ、その信頼は、為政者たちの言動をはじめ、さまざまな原因で常に揺さぶられている。

 算定の根拠があいまいなまま国の土地が大幅に値引きされて払い下げられた森友学園の問題も、国家戦略特区として獣医学部の設立を認可する際、官邸が圧力をかけた疑いが残る加計学園の問題も、根底にあるのは、権力を持つ者が特定の誰かのために便宜を図ったことに対する疑いであり、不信感である。

 埼玉県上尾市では、ごみ処理施設の入札の際、業者に予定価格を漏らした疑いで市長と議長が逮捕されたが、こうした事件も、毎日こつこつと働き、暮らしやすい社会づくりのために役立ててほしいと思いながら納税している者の信頼を損なう。

 昨今はクラウドファンディングのように、ある目的を持った特定の活動について、それに賛同する人びとが寄付や出資をして活動を支援していく仕組みが流行しているが、こうした動きにはうなづける部分も多い。

 昨日の本紙で紹介された地域食堂設立の動きなどを見ても、誰もが生きやすい地域づくりのために自ら動こうとしている企画者の願いが現れており、顔の見える個人の動きに対し、賛同し支援する人も現れるわけだ。

 自ら託した金がどのように、誰のために使われるのか。そこが見えれば支援の動機も強くなる。自分が誰かの役に立っているという実感はうれしいものだし、継続して関心を持ち続けることで、活動する人たちを支え続けることにもつながる。

 東日本大震災の際、被災地支援に向かう人びとを支えた資金の多くも、こうした特定活動を支持する人たちから寄せられた義援金だったことを思い出す。

 為政者への信、不信は、私たちが社会のために役立ちたいという思いと深く関わる。決しておろそかにはしてほしくない。

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