社会で支えるという意識

 子ども食堂や学習支援といった取り組みが生まれている。

 成長に応じて必要かつ十分な食事をとること、知りたい学びたいという学習意欲を満たすことは、子どもにとってみれば権利であり、保護者はそれを保障する義務を負っている。

 家族構成や収入、価値観などは家庭によってまちまちで、かりに十分な収入がなければ、子どもの要求に応じたくてもこたえられないといった場合もあるだろう。保護者や子どもにとってはどうしようもない現状を社会で支えていこうという意識が、動きの背景にはある。

 ただ、子ども食堂にしろ学習支援にしろ、経済的格差を埋め合わせることで子どもの権利を保障しようと、そのことだけを目的にした取り組みではない。

 先日、あいおい子ども食堂を訪ねた際、運営に関わるボランティアスタッフの生き生きとした表情を見て、活動そのものを楽しんでいるのだと実感した。

 運営に必要な資金や食料は有志による寄付でまかなう。農家からはおいしい地場の野菜が提供されるほか、期限が切れそうな加工食料を活用してほしいと持ち込む人も現れている。

 月に1度の開催なので、料理で使いきれなかった生鮮食品は来場者に安価で提供するし、そうして得た資金は運営に回す。地域の食品ロスを減らすことにもつながりそうな動きである。

 何よりも、周囲に協力を呼び掛けたり、一緒に食事の準備をしたり、地域の子どもを迎え入れて楽しませたりと、協同の喜びが会場ににじんでいた。

 子どもたちにしても楽しいから訪れるのであって、家庭で食べられないわけではない。運営側にしても、子どもの貧困対策というより、むしろ地域の住民が支えあい集える場所を生みだそうといった意識が強い。

 学習支援にしても、子どもの満足感と併せて、教える側の充実感が大切で、こうした感覚の共感が、活動を長く続けていくエネルギーとなるのだろう。

 通貨の供給を増やして物価をつり上げ、公共事業などを活発にし、新しい製品やサービスの創出を後押しする。現在進行中のアベノミクスと呼ばれる政策を見れば、今のところ格差を拡大する方向に作用している。

 子ども食堂や学習支援といった取り組みは、こうした格差を埋めるだけでなく、地域のつながりを生み出す仕組みとして機能する可能性を秘めている。

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