伝統は方向を見定める柱

 銀座に開場した観世能楽堂で落語を聴いた。能舞台に高座を置いて落語をすることの新鮮味について、立川志の輔師匠の前説が大変分かりやすかった。

 地下空間に舞台や屋根一式を持ち込んだ入れ子構造。満席の約500人に向かって高座は方形の舞台に対して少し斜め気味である。「この角度を決めるのに時間がかかりました」という。

 能舞台の客席は正面と脇正面と中正面の3つからなる。等級的には正・脇・中の順。中の席料金が安いのは、角柱が舞台の一部を遮ってしまうからだ。

 新しい能楽堂ではこの角柱の取り外しが可能になり、他の芸能に道が開けた。落語は全席同じ扱いのため、向かい合う角度が重要になったわけである。

 だったら能舞台もそうしたらという話だが、能にはそれができないわけがある。能面をつけて視野が狭まった役者にとっては、屋根を支える四本柱が、自分の立ち位置や進行方向を確かめる目安になっているためだ。

 ほかに舞台後方の鏡板に描かれた老松の意味、役者が登場する橋掛かりの通り方、舞台周囲の玉砂利の役割と、笑いを交えてたっぷりと解説してくれた。

 異質なものとの共存の模索はかたくなな構えからは生まれてこない。一つ妥協して、たくさんの可能性を得るということによって、厚みのある伝統文化が新しい時代に即した生き方を歩み始めた。そういう陰の苦労というものの存在を今回、改めて知る機会になったのである。

 子どものころから視聴してきた古い歌謡の世界が、近ごろ自分自身の中でどんどん評価が高まっている。いろんな人との話を通じ、これは決して自分だけのことはないと感じるのだ。

 ネットの世界のありがたい面は、往年の歌手や伝説の演芸が映像で見られる点である。三波春夫の「俵星玄蕃」や「大利根無情」などを再生すると、この人の芸はやっぱり生で見る価値があると実感するし、そういう意見を持つ若者も少なくない。

 この先も末永く生き残っていく昭和の芸能のえりすぐりがネットの領域でいま、激しく展開されているという印象である。

 こんなふうに日本的なものに惹かれていく心とは、どんな社会現象の投影なのだろう。

 ひとついえるのは、グローバル経済の荒波の中で自分の立つ位置がわからなくなりつつある現代人にとって、伝統とはやはり、方向を見定める柱なのだ。

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