婦人之友の110年

 雑誌「婦人之友」が表紙を絵画に変えたのは創刊から8年を経た1911年だったという。

 「婦人雑誌の表紙といえば女の顔を大きく描いたものばかりであった。いろいろ考えた末に立派な画家に頼んで、その月々の風物を描いてもらったらよかろう ということになり、かねて知り合いの平福百穂氏にそのことをお願いすると、快く引き受けてくれて、ちょうど初夏の季節であったので、露のこぼれそうな薔薇の花をかいておくられた」と、これは創立者羽仁吉一が後につづった回顧である。

 そこから平福が19年。この始まりがあったからこそ、安井曾太郎、藤田嗣治、鈴木清方、奥村土牛など、今日まで1310号、141人の画家によってその伝統が受け継がれてきた。

 「自分一人の夢でなく、多くの友の夢がほしい。だんだんさやかになってくる夢を見るのは楽しみである。夢を育てていくのは楽しみである」。こちらは同じく創立者、羽仁もと子の言葉である。夫吉一との結婚生活の中で抱えた戸惑いを読者と共通の課題であるととらえ、生活の工夫と専門家の助言を誌上にのせる。これが「婦人之友」の出発点で、日本初の女性ジャーナリストのもと子、そして自由学園の創設者である夫妻の、まだ20代の思想と実践である。

 歴史学者の羽仁五郎はもと子の長女説子と結婚し、桐生とは深い縁で結ばれた一家だ。

 その「婦人之友創刊110周年記念・婦人之友表紙と子供之友」原画展が、東京都豊島区の自由学園明日館で開催された。

 都会の中で自然環境との調和を繊細に描き出した明日館の建物は、桐生市制施行と同じ1921年にフランク・ロイド・ライトの設計によって自由学園の校舎 として完成し、いまは重要文化財となっている。この中に明治から平成まで180点の原画が並んだ。セピアでない、色彩にあふれた伝統の空間。

 「子供之友原画」は第2次大戦の用紙制限で休刊するまでの30年間の一部が展観された。

 竹久夢二の1927年「田舎はきれいです」には「ヒトガマチヲツクリマシタ カミサマガイナカヲオツクリニナリマシタダカライナカハキレイデス ユメ・ タケヒサ」とあった。ヒトの世界で100年を超える伝統を築くのは容易ではない。経験だけに頼らない、つねに新しく学ぼうとする姿勢こそが継続の原動力だ と、改めて思う。

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