現場に寄り添う姿勢

 群馬大学工学部の同窓生で群馬工業高等専門学校特命教授の小島昭さんは東日本大震災の後、大津波で被災した岩手県の山田湾を訪れ、カキ養殖の支援を始めた。リアス式海岸の山田湾は山と海とが隣り合う美しい入り江。水はきれいだが栄養価に乏しく、プランクトンが育ちにくい。そのためカキの生育は遅く、稚貝が成長して水揚げできるまでに3年かかるという。

 ポイントは鉄分の供給だった。小島さんは地元漁業者と手を組み、科学技術振興機構(JST)の復興支援プログラムを活用し、2012年に実証実験を開始する。鉄プレートと木炭と腐葉土を麻袋に入れ、それを養殖いかだに吊るす。やがて鉄イオンが海水に溶け出すとプランクトンが増殖し、カキの成長が促されるという仕掛けだ。

 これまで40回以上、山田町に通った。その間、試行錯誤を繰り返しながらも実験は着実に成果をあげている。カキの成長が早く、同じ期間でより大きく育つようになった。味も濃くておいしいと、養殖業者からお墨付きが出ているという。山田湾での復興支援事業は今年度いっぱいで一つの区切りを迎える。

 科学技術を社会に役立てるにはどうすればいいのか。小島さんの取り組みから見えるのは、つねに相手に寄り添う徹底した現場主義の姿勢だ。恩師から「日陰にいろ」と言われたのだと、小島さんは若き日を振り返るが、「日陰」とは学術界からみれば、おそらく「現場」のことを指すのだろうと、そんなふうにとらえることができる。

 誰にでも役立つ理論の追求はもちろん大切だが、特定の誰かを助けるためには、現場の環境に合うように、理論を応用しなければならない。そのとき大切なのは、現場をよく知る人の話に、いかに耳を貸すのかということ。学術を極めようとする人にとって難しい姿勢である。

 国会審議で政治家たちが討論を繰り返しているが、そこで指摘されるのは費用や人数といった数字ばかり。政策は誰かのためにあるのだが、個々の顔や名前は当然ながら数字に置き換えられてしまう。こうした数字には必ず具体的な個人が存在していることを、小島さんの話が改めて教えてくれるのだ。

 現場から離れるほど、固有名は見失われる。いのちある存在を忘れずにいることは、科学者にとっても政治家にとっても、大切な姿勢であるはずだ。

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