高齢者の足を考える

 知り合いと連れ立ってリュックを背負い、おりひめバスに乗って5キロ、6キロと離れた桐生のまちなかまで買い物に出掛けるお年寄りが増えているという話を、つい最近耳にした。

 菱地区では低速小型電動バスを使った新たな実験も展開されている。おりひめバスが走らない住宅地や集落と、おりひめバスの停留所との間を、低速小型電動バスで結び、高齢者が公共交通機関を利用しやすい環境を用意しようというのが狙いだ。

 自分の足や自転車で移動できるよう健康を維持しても、いつか難しくなる。そのとき暮らしやすい社会を設計することが喫緊の課題の一つであるはずだ。

 秩父市内の商店街の有志たちが、それぞれに商品を抱えて介護施設へと出向き、そこに出店を構えて入所者たちに買い物を楽しんでもらっているのだと、そんな話を聞いたことがある。だいぶ昔のことなのだが、今でもよく覚えている。

 日ごろ何とはなしに済ませている買い物という行為だが、そこには人間にとって大事な問題が含まれているのだと、話題の提供者は続けていた。自分がほしいと思うものを自分で選び、自分でお金を支払って購入する。買い物を通じて、その人は自分の尊厳を確認してもいるのだと、そんな言い分であった。

 認知症を抱えていたり、足が不自由であったりと、ふだんは買い物という行為から遠ざかっている施設の入所者たちが、あれこれと品物を吟味しながら、買い物のわくわくとした気分を楽しむ。長年親しんだ当たり前の行為だからこそ、うれしさはひとしおのはずだ。

 食料や日用品など、日々の暮らしに必要なものを、私たちは毎日のように購入している。ものがなくなればいつでも買い物に出掛け、手に入れることができるという安心感が、暮らしのゆとりにつながっている。

 しかし、地域で進行する過疎化と高齢化が、日々の買い物を徐々に困難なものにしてゆく。マイカーを失い、移動手段が限られてゆく一方、地域でこつこつと商いを続けてきた店がひっそりと店じまいをしてゆく。

 マイカーや自転車といった移動手段を利用できる人からみれば、公共交通機関の存在はなかなか視野に入りにくい。でも、こうした移動手段がなくなったとたん、バスや鉄道といった公共交通は、移動の自由を保障するうえで欠かせぬものになる。

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