「弓棚式高機」を復元、伝統の黒繻子織った手機

 江戸から明治期にかけて、彦部家をはじめ桐生地域周辺で使われていたとみられる弓棚式高機(ゆみだなしきたかはた)の復元が、同家(桐生市広沢町六丁目、彦部篤夫当主)で進められている。木と竹による織機に糸綜絖(そうこう)も苦心の末に完成、竹筬(おさ)に980本の経(たて)糸を通して、織り立てる。彦部家では文政9(1826)年に知行が桐生で初めて黒染め繻子(しゅす)の製織に成功、前当主まで7代にわたり織物業に携わってきた。「中世の武士」から「近世の織物業」へ、歴史をいまによみがえらせる作業だ。

 重要文化財・彦部家住宅の後援会「鳳純会」による復元プロジェクト実行委員会(朝倉泰委員長、10人)が4月から取り組み、桐生法人会の助成を受けた。まずは弓状の竹のバネを使って経糸を上げ下げする高機を復元、踏み竹も同家の竹林から採取した真竹を利用している。

 織機は市内の収集家から譲られた木枠をもとに、新潟県十日町市に残る資料などを調査研究、不足部分を北村建設や大沢木工の協力を得て補った。長さは3・3㍍もあり、江戸後期に黒繻子を織った手機と推定。今後さらに糸綜絖、踏み竹を倍の8枚・本にして、細い経糸が長く表に出てつややかな繻子織を完成させる。化学染料が入る前にどんな草木でどう染めたか、黒染めの研究も進める。

 プロジェクトは5年計画。同家には室町時代、足利将軍義輝の侍女小侍従から彦部雅楽頭晴直にあてた「仁田山紬(つむぎ)注文書」(桐生市指定重要文化財)が伝わり、関ケ原合戦に際しては徳川家康軍が桐生に旗絹を発注、同家の竹が旗竿(はたざお)として使われたという歴史もある。高機以前の居坐機(いざりばた)で仁田山紬や白絹を製織復元する作業も視野にある。

 朝倉委員長は「ウチの染布も元は黒繻子の仕上げ」といい、近世桐生の織物の世界をふくらます。「興味のある人たちに集ってもらい、ゆくゆくは教室を開くなどして新たな桐生の魅力を発信したい」としている。

 まずは同所イベント「紅葉狩りウイーク」中の21日午後1時~同4時、22日午前10時~午後4時、一般公開と体験会を実施する。問い合わせは同家(電0277・52・6596)へ。

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