6年目で帰郷決断、葛藤越え新たな一歩

 東日本大震災からあす11日で6年。桐生地区(桐生・みどり両市)には今も津波や原発事故の放射能汚染で故郷を離れた避難者30世帯69人が暮らす。このうち今月下旬で桐生地区を離れ、福島県に帰郷する2家族がいる。今月末の住宅無償提供打ち切りに合わせ、帰郷を決断した自主避難者の夫婦。妻子が避難して夫が単身赴任する生活に耐えられず、家族一緒に暮らそうと帰県を決めた子育て世帯。避難者たちは多くの葛藤を乗り越え、新たな一歩を踏み出そうとしている。

 「なんだか、さみしくなるな」「向こうへ帰っても、必ず桐生に遊びに来てね」

 6日に桐生市内で開かれた避難者と市民の交流サロン。5年9カ月にわたり月1回の交流を続けた仲間との別れを惜しんだ。

 桐生市相生町の市営住宅に避難している滝原功さん(74)、ハツさん(63)夫婦。今月22日に同住宅を引き払い、福島県いわき市の自宅に戻ることになった。

 2011年3月の震災で自宅が半壊し、工場も津波で全壊しての避難。原発事故の避難区域外のため、いわゆる自主避難者だ。

 福島県が負担してきた自主避難者への住宅無償提供が今月末で終わるのに伴い、桐生で別の住居を探すか、自宅を直して戻るかの選択を迫られた。

 桐生はハツさんの故郷や、功さんの両親の故郷にも近く、親戚も多い。約6年間の避難生活で多くの友人にも恵まれた“第二の故郷”でもある。

 が、悩んだ末に夫婦が選択したのは帰郷だった。約2年前から入退院を繰り返すようになった功さんの体調を最優先に考え、功さんの生まれ育った場所に戻ることにした。

 「まずは一度自宅に戻って考えてみようと思う」「またすぐ桐生に来るかもしれないけどね」。夫婦は吹っ切れたような笑顔で、自らに言い聞かせるように語る。

家族みんなで一緒に

 「パパだけが週末に帰ってくる生活はもう限界。子どもも寂しがっている。家族一緒に暮らすのが一番。ようやく決断できた」

 帰還困難区域の福島県大熊町から子どもと避難している30代女性。3月末で桐生地区の民間賃貸住宅を引き払い、福島県内の夫の単身赴任先に移り住む。

 原発事故の放射能汚染で故郷を追われ、近くに親戚のいる桐生地区に妻子で避難して約6年。子どもも1人から3人に増え、母親としての負担も大幅に増した。

 「取りあえず」で始まった避難生活は、相変わらず先が見えない。いつ終わるとも知れない夫の単身赴任。年を追うごとに家族一緒に暮らしたい思いが強まっていく。

 決断のきっかけは、震災いじめが全国で相次いでいるとの報道。「転校するなら、一番上の子が(思春期を迎える)小学校高学年になる前に」との思いからだった。

 「福島に戻るとはいっても、地元とは別の新天地。ようやく慣れた人間関係をつくり直すのは大変だけど、家族みんなで一緒に暮らせればそれでいい」と穏やかな笑顔で語る。

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