「吉野鮨」歴史に幕、球都の栄華見守り81年

 桐生市永楽町の路地・糸屋通りで81年にわたり営業してきた老舗すし店「吉野鮨」が、今月限りで閉店する。桐生高校野球部を春夏通算24度にわたり甲子園に導いた故稲川東一郎監督の四男で、同野球部の名物応援団長として知られた故吉野錦風さんの義理の孫である吉田武司さん(75)が店を継いで半世紀。桐生の街の栄枯盛衰を見守ってきた“球都のシンボル”的な店が、静かにのれんを下ろす。

 吉田さんなどによると、吉野鮨は1935(昭和10)年、指物師の傍ら無声映画の弁士として活躍していた吉野錦風(本名吉田金七)さんと妻のハルさんが、糸商だった店を居抜きで譲り受けて開業した。

 錦風さんが銭湯で義太夫節を歌っていたところ、同市末広町の割烹(かっぽう)・吉野家の創業者で“桐生花街の父”と呼ばれた吉野喜代松に見いだされ、屋号と芸名をもらって弁士となった。芸事や桐高野球部の応援に明け暮れた店主の代わりに、ハルさんが家計を支えるため、同市稲荷町の新川球場(現新川公園)で営んでいた「ホームラン食堂」からすし店に転業。職人を雇って切り盛りした。

 錦風さんは、2代目の故吉田満さんに跡継ぎがなかったため、盟友だった稲川監督に頼んで末っ子の武司さんを満さんの養子に迎えた。武司さんは桐高を卒業後、修業をへて、64年に3代目として店を継いだ。

 店には桐中・桐高野球部の関係者らが集った。今も稲川監督と並んで、27年の甲子園初出場時の中心選手だった故阿部精一さんの名札が残る。55年春の甲子園準優勝バッテリー今泉喜一郎さんと田辺義三さん、「三塁打王」といわれた毒島章一さんら、稲川門下のプロ野球選手らもたびたび訪れた。

 芸能人の客も多く、松任谷由実さんや岩崎宏美さんら音楽関係、桂枝雀さんら落語家などのサイン色紙が所せましと飾ってある。常連客ら十数人でつくる「吉野鮨を愛する会」の会長で、桐高OBの久保雄司さん(80)=東京マイクロ代表取締役会長=は「歴史のつまった店の雰囲気が最高」と、通いつめた店の消滅を惜しむ。

 武司さんは約10年前に胃を全摘出した後もすしを握り続け、妻の美那子さん(70)と二人三脚で半世紀にわたり店を守ってきた。「すし屋は粋でなければ。店のイメージが良いうちに、ここらでけじめをつけたい」と、今年に入って閉店を決めた。日曜定休のため、今月29日が最後の営業日となる。

 閉店後も、武司さん夫妻は築87年の店舗兼住宅の奥で暮らし続ける。店舗部分の利活用については特に考えていないという。

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