二十三夜塔が里帰り、江戸期の石塔、曲折へて

 みどり市大間々町7区で江戸時代に建立された石塔「二十三夜塔」が、町内数カ所の移転をへて、約半世紀ぶりに“里帰り”を果たした。1971(昭和46)年ごろ7区外に移され、近年は同町3区に設置されていたが、設置場所の土地が売却されるのに伴い、7区の東武鉄道赤城駅前の広場に移設した。24日には地元の自治会役員らが集まり、石塔にまつってある本尊・勢至菩薩の開眼供養を挙行。地域のシンボルの復活を祝った。

 二十三夜塔は、月齢23日の夜明けに集まって月の出を待つ民間信仰・二十三夜講(月待講)の記念碑として建立されたもの。江戸時代に全国で流行し、関東地方では11月23日に講を立てて子宝を祈るケースが多く、「三日月様」と呼ぶ地域もあるという。

 大間々7区の塔は1812(文化9)年に建立され、同地区が「下町」と呼ばれていたことから台座に「下町講中」と刻まれている。高さ約2・5メートルあり、厨子には金箔を施した木彫りの勢至菩薩像が安置される。

 建立以来、地区内で移転を繰り返し、1933(昭和8)年には星野家に置かれたが、71年ごろ同町1区の豊田館所有地(現ダイソー)に移転。その後、同町3区の豊田館の敷地に再移転していた。

 石塔がなかった間も、7区では毎年11月23日を中心に、地元集会所の大掃除に合わせて集まり、集会所に置いてある持ち回り用の仏像を拝む簡単な供養祭を続けており、二十三夜講の風習を受け継いできた。

 豊田館が倒産し土地の売却が決まったのに伴い、7区に戻す案が浮上。赤城駅前広場の地権者の理解を得て24日までに移設し、里帰りを果たした。

 24日は7区自治会(渋谷敬区長)の役員ら約30人が集まる中、光栄寺(大間々町)の金井栄則住職を招いて開眼供養を行った。里帰りの話をまとめた7区の小森谷恒男前区長(77)は、「区民の心のよりどころとして、今後は毎年11月23日付近に何らかの祭典を考えたい」としている。

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