本一・二重伝建地区の水路遺構、御影石の切り石積み確認

 桐生新町重要伝統的建造物群保存地区の水路遺構が、本町通り一・二丁目の西側歩道下に存在していることが確認された。22日から始まった桐生市水道局の水道管埋設工事に伴うもので、特に旧書上商店(現在の花のにしはら―綾小町)前は一定の大きさの御影石積みであることがわかった。桐生市教委文化財保護課が立ち会い、記録した上で埋め戻し、まちづくりの遺産として将来に託す。

 桐生新町重伝建地区は、江戸末期から昭和期までの多彩な建造物群はもちろん、町立て当初の地割りがよく残っていることが評価されている。水路も本町筋を特徴づける重要な構成要素だ。

 文化財保護課では2014年に初の水路遺構調査として、本町一丁目の森合資会社前を試掘。明治から昭和40年代(1965~74年)に埋め立てられるまで、西側は玉石積み、東側は蔵の基礎建築時のコンクリート面になっていたことがわかった。

 2016年度には本町一丁目で、続いて翌年度に本町二丁目で水道工事のための発掘が行われ、天満宮から新川に至る水路のうち、重伝建地区内の良好な保存状態が確認された。水路両側に河原石を積んだところが多く、コンクリートで覆った部分も。橋をかけて家々や商店に出入りしており、埋める際に橋材などを落とし込んだ形跡もあった。

 ところが旧書上商店前だけは、切り石積み遺構が残っていた。90センチ×30センチ、奥行き60センチほどの御影石の3段積みを森ハイツ前から綾小町前まで確認。大正時代の写真には四角い石積みがあり、富裕な買継商だった書上文左衛門が自邸前を改修したと考えられている。

 文化財保護課の萩原清史課長は「遺跡が破壊されずに埋められていた」と感激。明治22年(1889年)の「大日本博覧繪叙」や同30年の「桐生市内案内雙六」では玉石の石垣に別の形態の橋が描かれているので、改修の時期もほぼ特定できる。御影石の流通も明治末の足尾線開業以降、大正ごろからと一致する。

 水道工事への立ち会いは今月いっぱいで、水路遺構は埋め戻される。今後は電線の地下埋設工事なども予定されている。同課としては県や東電、地元と協議して保存に向け努力し、将来のまちづくりに委ねる考えだ。

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