激動の6年半乗り越え、「いか焼き」で再出発の一歩

 東日本大震災から、まもなく6年半がたつ。津波で故郷を失った親族16人の受け入れや、それを許してくれた夫のがん闘病と死…。桐生市相生町二丁目の飯沢ヨウ子さん(64)は、激動の6年半を乗り越え、再出発の一歩を踏み出した。市内に定住した親族と自宅で「いか焼き店」を開店。「たくさんの人に助けてもらった。感謝の気持ちを忘れずにいたい」と、吹っ切れたような笑顔で語る。

 「うちに来てもらえ」。2011年3月11日に発生した東日本大震災直後の混乱期、夫の明さんがかけてくれた温かい言葉を、ヨウ子さんは今も忘れることができない。

 生まれ育った福島県南相馬市小高区の集落が、大津波に丸ごとのみ込まれた。その後に起きた原発事故で避難を迫られ、多くの親族が行き場を失っていたときだった。

 ヨウ子さんを頼って桐生に避難した親族は、幼児から80代のお年寄りまで、総勢3家族16人に上った。みな自宅を津波で流され、わが子や孫、両親を失った親族もいた。

 実は夫の明さんは当時、肝臓がんの闘病中だった。病名を告知されたのは約半年前。リーマン・ショックでインテリア業の仕事が激減、取引先の倒産で多額の借金を背負い、身も心も苦しい時期だった。

 「だからこそ、快く受け入れてくれた夫の気遣いがうれしかった。自分自身はいっぱいいっぱいで、何もしてあげられなかったけど、桐生に嫁いでよかったなって」

 近所の人たちをはじめ、多くの桐生の人たちも、震災避難者の親族を支えてくれた。支援物資の提供から、就職のあっせんまで。物心両面のサポートがうれしかった。

 避難していた親族は全員、桐生市内への定住を決意。避難者から市民へと立場を変えた。それを見届けるように昨年11月2日、明さんは闘病の末に亡くなった。66歳だった。

 それから約半年後。ヨウ子さんは夫の死を受け止められずに没頭した外回りの仕事をやめ、休業中だったギャラリーを再開し、自宅で弟夫婦と「いか焼き店」を始めた。

 インテリア業を継いだ長男が以前、趣味でイベント出店していたのを再開。いか焼きは、小麦粉やヤマイモなどを使った生地にイカを入れたお好み焼き風の料理で、亡くなった明さんが大好きだったという。

 「この6年半いろんなことがあったけど、たくさんの人に助けられて、なんとか笑顔を取り戻せた。感謝してもしきれない気持ちでいっぱい。今度は自分がお客さんを笑顔にする番」とヨウ子さんは意気込む。

 店の場所は桐生市相生町二丁目264の4のインテリアイーザワ1階。営業時間は午前10時から午後4時までで、水曜定休。問い合わせは飯澤さん(電0277・52・6370または090・4677・1369)へ。

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