テキスタイルプランナー新井淳一さん死去

 まだ見ぬ布を求め続けたテキスタイルプランナー、新井淳一さん=桐生市境野町一丁目=が25日、逝去した。享年85。通夜は28日午後7時から、告別式は29日午前11時半から、桐生市斎場(広沢町五丁目)で執り行う。喪主は妻の利子(リコ)さん。

 繊維産地・桐生を根城に制作を続け、世界中で展覧会、講演、技術指導を行い、エッセーを書き、民族衣装を収集し、アーティストや学生と交流してきた新井さん。1970~80年代に三宅一生さんら日本人デザイナーの世界デビューに協働しつつ、その布は布自体の独創性を放って自立してきた。

 1983年に毎日ファッション大賞特別賞、87年には英国王室芸術協会名誉会員、92年国際繊維学会デザイナー勲章、2011年英国王立芸術大学院名誉博士号、14年文化庁長官表彰と、布を芸術に昇華させた功績は内外からたたえられ、英国ビクトリア&アルバート博物館、米ニューヨーク近代美術館、大川美術館などに収蔵されている。

 1932年桐生の機屋の3代目長男として生まれ、少年時代は戦争、カスリーン台風の被害で大学進学を断念。桐生高校では演劇や文学に親しみ、家業に従事後も人形劇や朗読で活動した芸術家肌だった。

 和装から始まって、高度なコンピューター・ワークと自らの手で絞り鍋で煮、畳んで真空熱転写や圧縮をかけるなどの技を駆使。天然素材だけでなく金属や化合繊も用いて、非常識な織物の構造に挑戦する姿は「ドリーム・ウィーバー(夢織人)」とも形容された。

 天の羽衣のように透明な布、深く沈思するモノトーンのジャカード織り、跳ねたりねじれたりおてんばな布、漆黒の奥からキラキラと光を放つ布、金と銀の相乗…。「自然と人と天の力が調和した一瞬にのみ、布ができる」との境地で、昨年暮れに武漢から始まった中国巡回展では「布をつくることは、平和をつくることです」とスピーチし大拍手を受けた。12月15日からの香港展にも列席する意気込みだった。

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