最初期の逸品11着を保管─桐生とスカジャン

 米兵向けのスーベニア(土産物)として戦後に売られ、桐生が主力生産地であったスカジャン。その最初期に作られたジャンパー11着が市内で大切に保存されていた。傷みのない極めて良好な状態を奇跡的に保っており、オリジナルの希少性とともに、産地の技術の確かさを今に伝える貴重な資料だ。

 保管しているのは、石川健司さん(82)=浜松町一丁目=。実家は戦前から薬局を経営していたが、父が戦死。終戦後、家計を支えるため、母好子さんと、洋裁を習っていた姉の榮子さんが内職としてスカジャンの縫製を一時期していたのだという。

 ジャンパーは形状やジッパーの種類、使われている生地の素材がレーヨンである点から、ちょうどそのころ、1946~50年(昭和21~25年)に作られた物で間違いないとみられる。好子さんが茶箱に入れて保管していたらしく、石川さんが自宅を整理していて見つけた。

 黒、赤、青、緑の4色。リバーシブル(両面)で着られるよう背中の表裏に鷹(たか)や虎、竜、富士山、米軍基地の所在地を記した日本地図が横振りで刺しゅうされ、縫いしろの乱れもなく丁寧に仕上がっている。袖など全体的な造形が直線的なのも、着物から派生したとされる原初のスカジャン特有のもの。サテンの光沢は70年近くたつと思えないほど鮮やかだ。

 「茶箱には普通、毛の物を入れるから、繻子(しゅす)が出てくるとは思わなかった」と石川さん。初めは母が嫁入り道具として持参した英シンガー社製の足踏みミシンで縫っていたが、仕事が増えると工業用ミシンを入れ、姉と2人で働いていたと振り返る。

 桐生駅から東京都内に直通列車があった時代。53(昭和28)年の大学進学後も自宅から通った石川さんは「そのころにはマフラーに代わっていたと思う。オレンジ色の長いシルクのマフラーを横浜の桜木町辺りまで頼まれて運んだ覚えもあります」と語った。

戦後まもなくスカジャン

戦後に作られたままの状態で残るスカジャンと石川さん

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