標準化を超えて

 宮澤賢治の詩や物語の朗読なら、同郷の長岡輝子さんの盛岡弁がおもしろい。津軽弁も独特で、南部弁や下北弁とも違うという。津軽出身の太宰治の小説を“翻訳”した「走っけろメロス」を聞いてみたいと思っている。ひとくくりにできない、東北の豊穣さ。言葉がそれを象徴する▼上州弁を取り入れた新井高子さんの第3詩集「ベットと織機」(未知谷)は、詩壇(?)から「特異な詩集」と評されているという。桐生市境野町の実家は織物業で、力織機と働く女たちの中で育った原風景が「ジャンガン、ジャンガン」という擬音をまとわせ表現される▼境野小5年生の担任の影響で「文学児童」になったが、桐女ではダンス部で慶応大学に進み東洋史を専攻。「私って何だろう」「自分の居場所をつくろう」と詩作を再開。現在は埼玉大学日本語教育センター准教授で留学生に対する。現代日本、日本語、これでいいのかとの思いがある▼桐生の女たちのことばの強烈な実例として挙げてくれたのが「シミズ」。貧相な音色ゆえの実在感は「シュミーズ」なんて足元にも及ばないと。話者であった母上の影響も大きいのだろう。本紙掲載日がその命日だったというのも奇遇、また縁が結ばれた。(流)

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