桐生新町の水路遺構を確認、明治期からの遺物出土

 桐生新町重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に昭和40年(1965年)ごろまで存在した水路遺構が、桐生市教育委員会文化財保護課による試掘調査で確認された。重伝建内では電線の地下埋設工事を行うことになっており、水路の状況を把握する必要が出てきたため。考古学的発掘調査によって石積み壁が良好に保たれていることがわかり、堆積土の層は7段階まで掘り下げて、明治から昭和40年代までの遺物が出土した。今年度事業としては埋め戻して保存し、将来のまちづくりに委ねる。

 桐生新町の水路発掘調査は今回初めて。重伝建としての価値は江戸末期から昭和期までの多彩な建造物群だけでなく、町立て当初の地割りがよく残っていることが評価されている。さらにその下まで掘り下げて町の構成要素が明らかになり、文化庁や県教委文化財保護課の担当者も確認した。

 試掘地点は本町一丁目の森合資会社前の歩道と車道の一部。舗装を掘削し、人力で掘り下げて精査した。まず4層は戦後遺物を多く含み、その下3層は明治から戦前まで。水路は浚渫(しゅんせつ)が行われることもあるが、明治から歩道工事で埋め立てられるまで継続して存在していたことを確認。現在の電柱や上・下水道、ガス管も水路遺構の外側にあることがわかった。

 文化財保護課では「近代以降の水路遺構は現在の歩道の位置とほぼ一致、本町一・二丁目のほぼ全面で同様に残っていると考えられる」とし、「水路の創設年代は不明だが、今回の発掘層より下に、より広く深い水路遺構がある。近代以前に規模を縮小する大改変が行われたことは新たな発見だった」とまとめた。

 「子どものころ、水路にもぐったことがある」という森壽作さんは「文化遺産としての認識が深まった。復活するかどうかは住民の総意が必要で、これからどんなまちづくりをするかにかかわる」と語っている。

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